Silver Keys Ⅰ 6

絨毯の敷き詰められた玄関ホールで、シエラはレナに言った。

「『転移』の魔術が出来るんだって? どのくらい飛べる?」

「赤ちゃんの頃は、子供部屋から台所まで飛べたらしいけど…」

と言って、レナは実際にホールから2階の階段の上まで「転移」して見せた。

「今はこのくらいが限界」

「上出来。教わって無くてもコントロールできるのは、良い才能だね」とシエラはほめた。「じゃあ、戻ってきて。まずは炎の使い方と、反魔術を覚えようか」


夕方の庭に出て、シャツ姿のルディが木の影を飛び越さない程度まで飛翔して見せると、ナイトが「じゃぁ、追いかけっこをしてみよう。私を捕まえられたらルディの勝ちだ」と言い出した。

ナイトがジャケットの隠しスリットから羽を広げると、ルディには「大人のパンパネラ」の羽の強靭さが見て取れた。

エリーゼの隣から、影をかき消すようにナイトの姿が消えた。ルディが面食らっていると、「何処を観ている?」とナイトがルディの耳元に囁いた。

ルディがナイトを捕まえようとすると、瞬時にナイトは姿を消し、離れた場所にある高い木の枝にとまっていた。

「少し反射が鈍いな。イーブルアイを使ってみろ」と言ってから、ナイトはまた別の場所に飛翔した。


ナイトとルディが、人間にとっては目にもとまらぬ速さで庭中を追いかけっこしているのを、エリーゼは複雑な気分で観ていた。

やっぱり、ルディは、パンパネラの血が強いのね。と思っていると、屋敷の中から空気を裂くような爆発音が聞こえてきた。

物音は結界にかき消され、外部には漏れなかったらしい。鞄を持った近所の公立学校の少年達が、じゃれ合いながら屋敷の前を平然と通り過ぎて行く。

ナイトもルディも、追いかけっこに夢中で物音は聞こえているのかいないのか。

エリーゼが恐る恐る玄関ホールを覗いてみると、シエラが巨大な雷の塊を、球状の結界に閉じ込め、消滅させるところだった。

「レナちゃん、炎より先に、雷の起こし方を覚えちゃったよ」

と、シエラがエリーゼに説明した。

「危なく、屋敷が吹っ飛ぶところだった。力が強いことは分かった。後は、細かくコントロールできるように調整して行こう」

シエラの言葉をポジティブに受け取ったレナは、「はい」と答えて、得意そうににっこりと笑った。


夕刻も更け、メイドのメリーが「お食事の時間ですよー」とナイト達を呼びに来ると、ナイトはあえて動きを止め、後から追って来たルディに背中をタッチさせた。

「よし。今日はこのくらいにしておこう」とナイトは言って、ぼさぼさになったルディの髪を手の平で整えてやった。

さすがに実戦経験のある大人のスピードは、子供達の追いかけっこなんかと比べ物にならないや。と、ルディは心の中で思った。

シエラは仕事があるらしく、食事前に一通りのレッスンを追えると、夜が更ける前に自分のねぐらへ帰って行った。

「父様。あたし、反魔術が使えるようになったの」と、レナは食事の席でその現場を観ていなかったナイトに説明した。

「ほう。どのくらいマスターした?」と、ナイトはフルーツのサラダを食べながら言う。

「シエラさんは、完璧だって言ってた。並の魔術なら、ほとんど受け付けないって」と言ってから、レナは「でも、当たり前に、その状態を維持できるようになれって」と付け加えた。

ナイトは口の中でもぐもぐする繊維質をワインで飲み込んでから、「なるほど。持久力が必要なのか」と言った。

「確かに、パンパネラの世界で生きて行くなら、魔力の持久力は大切だ。みんな、人間より体力も魔力も長続きするからな」

そう言われて、レナは食事の手を止めてふむふむと頷いた。

「レナ、こぼさないようにね」とだけ、エリーゼが口を挟んだ。


廊下の床はピクリとも軋まないが、双子は誰にも後をつけられていない事を意識しながら、父親の書斎に忍び込んだ。

書斎に住んでいるもの達も、特に騒ぎだてることはない。双子は本棚の列から、古く分厚い日記帳を選び出し、お互いにしか分からないいつもの方法で言葉を交わした。

「この間は何処まで読んだっけ」ルディが心の声でレナに聞く。

「458ページ」と、ルディにだけ聞こえる微かな声でレナが囁いた。

「おや。何処の泥棒だ?」ナイトの声がした。双子が、声のした部屋の隅を観ると、暗い部屋の中に、父親の姿が浮かび上がっている。

「以前から、何回か忍び込んだようだな?」怒るでもなくナイトは言った。「そんなに私の日記に興味があるのか?」

「だって、ファンタジーじゃないんでしょ?」レナが言った。

「なのに、こんなにすごい世界があるって分かって。私達、父様が旅に出て、ルーゼリアさんと逢ったところまで読んだの。もし、書斎に忍び込まないでも、その話を聞かせてくれるなら、もう二度と盗み読みしたりしない」

ルディは姉の言葉を聞いて、「レナは説得上手だな」と思った。

「仕方ない。それでは、私の過去の武勇伝でも話そうか」と言って、ナイトが指をはじくと、カーテンが一斉に閉まり、部屋に明かりがついた。