Silver Keys Ⅱ 5

いつも7時には起きて、8時の朝食に間に合うように準備をしていたレナだったが、その日は異常な眠気に襲われて7時30分ギリギリまで眠っていた。

その間に、奇妙な夢を観た。ルディが、不気味な犬に右膝を噛まれ、傷口に毒が回りぶよぶよとした腫れものが出来てしまう、と言う夢だった。

レナは目を覚ますと、すぐにルディに心の声を送った。「ルディ。起きてる?」

「起きてるよ。どうしたの?朝から」と、ルディの、のんきな心の声が返ってきた。

「右膝に怪我をしたら、すぐに医務室で診てもらって。放っておくと、取り返しのつかないことになるわ」

レナが慌てて伝えると、姉の能力を知っているルディは、「分かった。気を付けるよ」と真面目な声で答えた。


レナはそれから大急ぎで身支度をして、女子寮の食堂でサラミとクラッカーの入ったサラダを食べ、授業の始まる時間には、講義を受けられるように教室の席についていた。

だが、ルディのことが心配で仕方ない。もし、自分に治癒の能力があるなら、こんなに心配しなくても良いのだろうか。そんなことを考えながら、レナはとにかくノートをとることだけに集中した。

「レナ・ウィンダーグ。前に来て、この言葉を現代語に訳して」と、古典の先生から問題を出された。

レナは我に返って、黒板に近づくと、書かれた古文を、現代語で訳し始めた。「私は田舎へ帰ってきて、お土産を両親に渡した。両親はとても喜んでくれた。だけど、その時には…」

そこまで訳したときに、レナの背後で教室内の窓ガラスの割れる音がした。

飛び込んできた一羽の大烏が、赤い目を光らせてレナを見る。

魔力を持ったものにしか分からない言葉で、大烏は言った。「レナ・ウィンダーグ。見つけた」

そしてレナに襲い掛かってきた。レナは一瞬、習ったばかりの魔術を使おうか迷ったが、こんなに人のいる場所で目立つことは出来ない。

レナが、持っていた教科書でカラスを叩き、追い払おうとしていると、ある少女が、素手で大烏の首を捕まえた。

少女は、何の迷いも無く、烏の首の骨を折り、即死させた。

「レナちゃん、大丈夫?」と、周りの少女達が声をかけてきた。そして、烏を屠った少女を、不気味そうに見ていた。

烏が痙攣をやめ、完全に死ぬのを待っている褐色の肌の少女に、レナは「ありがとう。助けてくれて」と声をかけた。

烏を仕留めた少女は、レナに近づいてきて、耳元で「ウィンダーグさん。後で話がある」と言うと、教師に烏の死骸を差し出しながら、「これ、捨ててきます」と言って教室を出て行った。


その日の授業が終わった後、昼間に大烏を屠った褐色の肌の少女が声をかけてきた。「ウィンダーグさん。こっちに来て」と言って、少女はレナを自分の寝室に招いた。

「私のこと、たぶん知らないと思うけど」と少女は切り出した。「私の名前は、ジーナ・ローラン。男子寮の、ジュミ・ローランの妹って言えば、分かってもらえる?」

レナは驚いた。自分の身の周りにも、闇の血を受け継ぐ人物がいたなんて。

「ジュミ・ローランさんのことは、弟から聞いてるわ」とレナは言った。「もしかして…あなたにも、あの烏の声が聞こえたの?」

黒曜石のような瞳を持つ少女は、しっかりと頷いて、「聞こえた。あなた…いえ、あなたも、あなたの弟さんも、誰かに狙われてる」とレナに伝えた。

「一体誰が…」と、レナが言うと、ジーナはレナを落ち着かせるように答えた。「こう言う時こそ、あなたの力が役に立つ。すぐに自分の部屋に戻って、自分の未来を占ってみて」

「分かった」レナは答えると、「ありがとう」と言い残してジーナの部屋を後にし、自分の寝室に向かった。

部屋でタロットカードを取り出し、自分に落ち着くように心の中で言い聞かせると、レナは「予知」の能力に力を拡散し、タロットを切り始めた。


その日、シエラの屋敷に魂を召喚されたレナは、シエラに事と次第を話し、占いの結果を告げた。

「誰かが私とルディの命を狙ってるのは確かなの。でも、誰なのかは特定できなかった。占う途中で、何故か魔力が途切れちゃったの」

シエラはそれを聞いて、真剣な顔つきでこう言った。「恐らく、狙ってる者は魔術の心得があるね。強力な反魔術か、『攪乱』の術を使っている可能性が高い」

「それと、今朝おかしな夢を観たの。たぶん、予知夢だと思うけど、ルディが気味の悪い犬にかまれて、膝が腐っちゃう夢」レナは師匠に危機を訴えた。

「それは気になるね」シエラは言い、自分のタロットカードを取り出すと、魔法陣の描かれたテーブルの上に伏せてざっと散らし、茶に近い金色の目でカードを吟味した。

その中から、シエラが一枚を引いた。表に返すと、脚を縛られ逆さまに吊られた人物の絵柄のカードだった。

「ルディ君が、ケガをするのは避けられないかも知れない。病にかかる可能性がある」シエラは言った。「でも、死には至らない」

「回避する方法はないの?」と、レナは訊ねた。

「ルディ君を直接占えるなら、その方法も分かるけど…。あいにく、ルディ君を呼び出すことは出来ない。ウィンダーグ様との約束を破ることになるからね」

その言葉を聞いて、レナは黙りこくった。魔術を扱う者の言う「約束」は、契約に近い。それを破ると言う事は、今後、シエラが魔術を使えなくなる恐れもあるのだ。

「レナちゃん。今は、自分の身を守ることを考えるんだ」シエラが励ますように言う。「あんた達のことは、ウィンダーグ様にも伝えておく」

そしてシエラは「今日中に、動物の襲撃くらいはかわせる、簡単な結界の作り方を教える。魔力をかなり使うから、朝起きた時だるいかもしれない。覚悟は良いかい?」とレナに確認した。

魂の状態のレナは「大丈夫」と答えて席を立ち、部屋の真ん中に移動したシエラの後について行った。

シエラは人差し指を立てると、指先に魔力を集中した。それを空中でくるりと一回転させる。すると、シエラの周りに半球状の魔力の壁が出来た。

「真似してごらん」とシエラに言われ、レナは人差し指に魔力を集中し、シエラと同じようにくるりと一回転させた。

空中に、球状の魔力の壁が現れた。

「その壁を、自分の周りに発生させられるまで、反復して」と言われ、レナは2回目で、自分の周りに結界を作ることに成功した。

「その状態を、一定時間継続させるんだ」と言われ、レナはチリチリと細かい音の鳴る結界を、30秒ほど維持した。

息を吐き続けているような苦しさに襲われ、レナは魔力の放出を止めた。消耗から、息が上がっている。「これ、どのくらい維持させれば良いの?」

「攻撃を受けている間、ずっとだ」シエラはあえて厳しい条件を出した。「実戦に成ったら、息継ぎしてる暇はないよ?」

「そうね」と言って、レナは再び自分の周りに結界を作った。