Silver Keys Ⅱ 6

レナが結界の作り方を学び始めてから、数週間が経った。レナの予知夢通り、ルディが膝を怪我した。

サッカーの授業中だったルディは、転んで右膝を擦りむいたのだ。大したケガではなかったが、レナの忠告を思い出して、ルディは校庭の水道で傷口を洗い、医務室で傷を消毒してもらった。

だが、異変は数日も経過しないうちに起こった。

体がだるい気がして、ルディは夜中に目が覚めた。気づけば、パジャマが汗だくだった。熱が出ているのか、とルディは冷静に考えた。

当直室に、たぶん先生がいるはずだ。医療の知識はない先生かも知れないが、誰か大人に教えなければ、そう思ってルディはフラフラしながら廊下を歩いて行った。

その途中で、足がもつれ、ルディは廊下に倒れた。その時のルディに、起き上がる余力はなかった。

ルディの第一発見者は、幸いなことに、ジュミの「アジト」によく出入りしている、灰色の髪の少年、カルだった。

「ルディ。どうしたんだ?!」と、カルは声をかけ、廊下に突っ伏しているルディを抱え起こした。

「アジト」で角と羽を出している時のカルしか知らなかったルディは、一瞬「誰だろう?」と思ったが、特徴的な灰色の髪を見て、カルだと気づいた。

「カル…。僕、熱が…」そう呟いて、ルディは意識を失った。

「どうした?!」と、ジュミの声がした。

「ルディが倒れてたんだ。すごい熱だ…」と、カルはルディを抱え上げながら言った。「すぐに救急車を呼んでもらわなきゃ」

「僕が当直室に行く。カルは、ルディを寝室へ!」ジュミがそう指示を飛ばして、当直室に走った。

「分かった!」カルは答えて、ルディを自分の寝室に連れて行き、ベッドに寝かせた。

寝室に備えられた洗面台で、タオルを濡らしてしぼってきたカルは、顔中に汗をかいて苦しんでいるルディの額を拭いてやった。

微かな意識を取り戻したルディは、「カル…ごめん…」と呟いた。

「気にしないで。それより、原因に心当たりは?」カルが訊ねる。

「分かんない…。ちょっと前に…膝を擦りむいたくらいで…」と、ルディはたどたどしく言う。

カルは、イーブルアイでルディの膝を見た。黒い犬の霊体が、右膝を噛んでいるのが見えた。

「ルディ、少し待ってて」カルはそう言って、当直室に向かったはずのジュミを追った。


ジュミが、当直室に居た教師に、ルディが高熱を出して倒れたことを伝えると、教師はすぐに救急車を呼んでくれた。

カルが追い付いてきて、息を切らせながら、ジュミにこっそりと耳打ちした。「ジュミ。普通の医者じゃ無理だ。ルディは、誰かから呪いを受けてる」

それを聞いて、ジュミは当直の教師に、「救急車の他に、ミニング先生…僕の家の専属の医者ですが、その人に連絡させて下さい」と言った。

「ウィンダーグ君は、何か、特別な病気なのか?」と、当直の教師は当たり前な疑問を持った。

「そうです」とだけジュミは言うと、当直室の電話を借りて、ミニング医師の元に連絡した。


ジュミに付き添われ、最寄りの病院に運ばれたルディは、「破傷風」だと言う診断を受けた。

だが、その病院に駆け付けたミニング医師は、ルディの右膝に食いついている黒い犬の霊体にすぐに気づいた。

病院の医師達が去り、ジュミとミニング医師だけになると、ミニングは両脇に伸ばした腕の間に霊力を走らせ、両手を胸の前で向い合せてから手を重ね、心臓マッサージのように、ルディの胸を霊力で押した。

ルディの全身に青白い火花が駆け抜け、膝に食いついていた黒い犬の霊体は、ルディの膝から牙を話し、弾けるように消えた。

それから、ミニングは、食いちぎられかかっていたルディの膝の霊体にエネルギーを送り、霊体の損傷を回復させた。

ルディは苦痛から解放されたように、呼吸が落ち着いてきた。

「もう大丈夫です。発見が早くて良かった」医師は言った。「どうやら、この少年は何かに守られていたようですね。一度霊体を食いちぎられていたら、もっと酷いことになって居たでしょう」

「酷い事って言うと?」と、ジュミが聞く。

「食いちぎった霊体から、直接、その霊体の持ち主に害を与えられるようになるのです」ミニングは簡潔に答えた。「呪いをかけている者の意思によっては、命を取られることもある」

「じゃぁ、ルディは誰かから命を狙われてるのですか?」ジュミはミニング医師に訊ねた。

「恐らく。親御さんにも、お知らせしたほうが良い」と、ミニング。

「連絡は、学校から伝わってるはずです」ジュミは答え、ルディの手を取って、まだ発熱の続いているルディの顔を見守っていた。


ルディが倒れたことを電話で知らされた両親は、急いでルディの連れて行かれた病院に駆け付けた。

病室を出ようとしたミニング医師と鉢合わせ、父親が医師に聞いた。「ルディは…息子は大丈夫ですか?」

「ようやく熱が落ち着いたところです。詳しくは、中にいるジュミ様から聞いて下さい」とミニング医師は言い、両親を病室に招き入れると、自分は病室の外に出て、帰って行った。

病室では、ジュミがルディに付き添っていた。

「ルディ」と、父親が息子に呼びかける。「しーっ。今、寝付いたところなんです」と、ジュミが囁いた。

「君は?」ルディの父親がジュミに聞いた。

「ルディ君の知り合いです。ジュミ・ローランと言います」と、ジュミは名乗った。

「私はナイト・ウィンダーグ。それと、妻のエリーゼだ」と、ルディの父親は名乗った。

「お二人にお知らせしなければならないことがあります。落ち着いて聞いて下さい」と言ってから、ジュミはミニング医師から聞いた話を説明した。


ジュミの説明を聞いて、ナイトは昔の因縁を思い出した。今になって、それも、自分ではなく子供を狙ってきたことに、ナイトは強い怒りを覚えた。

魔術の知識がないエリーゼも、霊体を食いちぎられていたかもしれない、と聞かされたときは、恐怖と悲しみを覚えた。

ルディをジュミに任せ、両親は、気分を落ち着けるために廊下に出た。

「なんでルディが…呪いなんて…」泣き出しそうになりながらエリーゼが呟く。

「すまない。私の落ち度だ」と、ナイトは妻に言った。「もっと強いアミュレットを持たせておくべきだった…」

「何か、原因があるの?」初めてエリーゼはナイトに聞いた。「何か知ってるなら、教えて」

ナイトは、結婚する前のエリーゼが、屋敷を離れていた3年の間に起こったことを、かいつまんで説明した。

話を聞き終えてから、エリーゼは不思議と落ち着いた風にこう言った。「その時の誰かが、あなたに復讐しようとしているの?」

「生き残ってる、誰かがな」とナイトは言った。「ルディは、一度屋敷に引き戻そう。霊体が回復しても、ダメージはしばらく残る」

エリーゼは、ナイトを抱きしめて言った。「あなたは、私達を守るって約束してくれた。だけど、全部を一人で抱え込まないで。私達、家族でしょ?」

ナイトは、肩越しに、妻が泣いているのが分かった。「ありがとう、エリーゼ」そう言って、目を閉じたナイトの瞼から、一筋涙がこぼれた。