Silver Keys Ⅲ 序章

少女は、幼い頃、仕事に出かけたっきり帰らなくなった祖父を心配して、父母に訊ねたことがあった。

「おじいさまは何処に居るの?」

父母は、ごまかすように作り笑いをして、「病院だよ。少し、大変な病気にかかってるんだ」と言った。

最初はその答えに疑問を持たなかった。

だが、祖父の葬儀の時、父親がこぼした言葉が今も少女の記憶に残っている。「とうとう、正気に戻ることはなかったな…」

その言葉で、少女は祖父を襲った「病」に気づいた。

少女は、父母が片づけに入る前の、祖父の書斎に忍び込み、手掛かりを探した。

何かが、とんとんと肩を叩いた気がした。

本棚の隙間に、封筒が挟まっている。ただの薄い封筒にしか見えないが、何か気になった。

その封筒を開けると、数十年前の日付と、「ナイト・ウィンダーグ。現当主」と書いたメモと、一枚のセピアがかった写真が出てきた。

そこには、怒ったような顔でカメラを見つめる、黒髪の痩せた青年の姿が写っていた。

何かが、少女の頭の中に囁きかけた。「彼は、吸血鬼だ」

少女は、幼いころから祖父に聞かされていた、「この世を支配する悪魔」のことを思い出した。

「吸血鬼。ナイト・ウィンダーグ。この悪魔がおじいさまを殺した」と言う、直感めいた、何かから植え付けられたような思考が働いた。

おじいさまは、吸血鬼に呪いをかけられたのだ。そして、発狂したまま亡くなった。

少女のシアンの瞳から、ボロボロと涙がこぼれた。

ウィンダーグ家と言えば、何処に隠れもしない、長くパルムロン街に続く旧家として知られている。

正攻法で訴え出ても、誰も少女の味方はしてくれないだろう。

「目には目を歯には歯を」と、少女の頭の中で何かが言う。

少女は思った。「私には、おじいさまの持っていた魔力が受け継がれているはず。魔力を操る者には、魔力で対抗するしかない」

そして、祖父が隠し持っていた、古い魔術の本を数冊、自分の部屋に持って行って、机の中に隠した。

少女はそれから、表向きは普通の子供として学生生活を送り、裏では魔術や霊媒の世界に没頭した。

自分を突き動かしているものが、自分の意思であると少女は疑っても居なかった。

だが、魔術を体得していく上で、自分を守り、自分を導いている「何か」の存在に気づき始めた。

その何かは、ある日少女の頭の中に囁きかけた。「贄を殺せ」

少女は、生理的な嫌悪感から、その思考だけは拒絶していた。だが、拒絶するほど「何か」は「生贄」を要求してくる。

初めて殺した「生贄」は、飼っていた黒犬だった。裏庭で振り下ろしたナイフの下で、犬は、さほどの抵抗もせずに息絶えた。

その時の血の生暖かさを、少女ははっきりと記憶した。

これが「命」か。これが「死」か。これが人間を、いや、全ての生き物を支配している「終幕」。その「終わり」から逃れ、世界を支配している悪魔を、滅ぼさなければならない。

少女の心は、やがて歪んで行った。

私は世界を正しい道へ導くためにあの家を滅ぼす。このディーノドリン市、人間の溢れる街の中に、平等に訪れるはずの「死」を回避して生きている吸血鬼の家。

奴等は異端だ。狂うべきは奴等の未来だ。私はこの世界を救わなければならない。人の血をむさぼる悪魔達から。

そして、少女は殺したばかりの犬の霊を「見た」。自分を守っている「何か」が、視力を貸してくれていることが分かった。

犬の霊は、何事も無かったかのように、少女に甘えてきた。

少女は犬の霊に言った。「お前は、空は飛びたくない? 飛びたいでしょ? 今まで、地面を駆けまわってるだけだったものね」

丁度良い所に、電線にとまった烏が居た。「あの鳥に乗って行けば良い」少女がそう言うと、犬の霊は霧状に姿を変え、烏に憑りついた。

それが、初めて作った使い魔だった。

犬は従順だ。生きているときにきちんと躾ければ、贄にした後もちゃんと言うことを聞く。そう学習した少女は、捨て犬や迷い犬を積極的に拾って来た。

少女の活動を、「犬の保護」だと思った知人や、近所の人から、迷い犬を預かることも増えた。

そして、犬達が自分になつく頃になると、「贄」として始末し、自分の扱える使い魔を増やしたり、時には少女自体に憑りつかせ、魔力の供給源とした。

使い魔を使って調べて行くうちに、ナイト・ウィンダーグは身分証を偽造し、人間の妻と結婚していることが分かった。

子供も2人居り、ラグレーラの寄宿学校に通っているらしい。名前は、レナ・ウィンダーグと、ルディ・ウィンダーグ。

「この血は絶やさなければならない」もうずいぶんと成長した少女は、使い魔を通した視界を見て言った。「この世をお前達の思い通りにはしない」

少女に迷いは無かった。増えた贄、増強した魔力、自分を守る「何か」の意思、そして幼い頃に覚えた悲しみ、それが原動力だった。

女性と呼んでも良いほどの年齢になった少女は、社会的には一般人と変わらぬ生活を送りながら、「何か」の意思の下、ウィンダーグ家の根絶を目的として活動していた。

ある日、誰かが家に尋ねてきた。

「ミス・ステファニー・オークランド。あなたに力を貸したい」

そう言って玄関に現れたのは、かつて少女の祖父に力を貸し、ウィンダーグ家を根絶させようとした人間達の後継者や、生き残りだった。

「とうとうこの時が来た」と悟ったステファニーは、彼等を家に招き入れ、父母に会わせた。

吸血鬼の話、呪いの話、魔術の話、父母には縁遠いことで、2人とも何を言われているのか分かっていない様子だった。

「ステファニー、お前は何をしようとしているんだ?!」と怒鳴った父親を、後継者達はあっさりと首の骨を折って殺した。悲鳴を上げそうになった母親も、首の骨を折って殺された。

ステファニーは、何も思わなかった。これは一過性の犠牲。理解の無い人間は、必要ない。贄となって、私の下で働くが良い。

その魔力と意思に従い、元は父母であった2体の人間の霊魂が、ステファニーの従僕となった。

ステファニーは、悲しみすら忘れていた。もう、彼女は、「人間」ではなかったのだ。