天と地と 3

いつもの薄暗い道端で座り込んでいたシオンの前に、ついさっき会ったばっかりの魔女と、原形の分からない大きな霊体が降りてきた。

「シオン。君の指が見つかったよ」と霊体から声がした。確か、エリックと名乗っていた霊体だ。

「左手を見せて」と、魔女が言った。この魔女の名前は、確か…そんなことを思っていると、差し出した左手の欠け落ちていた小指に、何十年も昔に失くした、自分の指がそっと取り付けられた。

魔女が、タトゥーのある右手で、小指の付け根に触れると、まるで切り取ったのが嘘のように、小指は元通りにくっついた。

シオンは、体が温かくなるのを感じた。今まで、小指の切れ目から抜け出ていたエネルギーが、ちゃんと体の中を巡るようになったような。

体が軽くなり、地面から足が浮いた。

「力が戻って来たみたいね」と魔女が言った。「さぁ、あなたのママの所へ行って」

「うん、ありがとう」とシオンは答えて、宙を飛んで懐かしい我が家へ戻った。


ベッドの中で、老婆は息を引き取るところだった。

ふと目を開け、見守っている家族を眺めながら、宙を見て、「ああ、シオン。迎えに来てくれたのね」と老婆は呟いた。

「シオン?」と、家族の一人である少年が言った。

「お前の叔母さんだ。ずっと昔に、事故で死んだ…」と、少年の父親が教えた。「私の妹だよ」

再び目を閉じた老婆の手を取り、シオンは「お花を毎日ありがとう」と伝えた。

体を抜け出してきた老婆の霊が、少女の記憶にある若い頃の母の姿に戻り、涙を流しながら、「やっぱり、お前は待っていてくれたんだね」と言った。

シオンは母親の手を引き、二人は屋根をすり抜けて、星空の広がる天空へ飛び立って逝った。


船着き場の真上の空で、街から天に昇って行く2人の霊を見ながら、リオナは「無事に間に合ったみたいね」と呟いた。

リオナを包み込んで宙に浮いているエリックも、「そうだね」と返事をした。それから、「でも、時間がないってよく分かったね」とリオナに言った。

「修業中とは言っても、私も魔女なのよ? あれだけ高齢なら、寿命くらい見抜けるわ」と言ってリオナは風でもつれた栗色の髪を整えると、アメジスト色の目で時計塔を見て言った。

「時間がないのは私達も一緒みたいね。船着き場に下ろして」

エリックが、気を利かせて人気のない所にリオナを降ろすと、リオナは大急ぎて船着き場を走り抜け、飛行船の横に出来た長い人の列の一番後ろに辿り着いた。


飛行船の指定された座席にリオナが座ると、エリックは巨大な楕円形の風船の上に取りついた。

「リオナ。聞こえる?」と、エリックの声がリオナの耳にだけ響いた。

「聞こえるわ。景色はどう?」と、リオナは心の声で答えた。

「たぶん、すっごく眺めが良いと思う。僕、振り落とされないかな」エリックは心配そうだ。

「あなた、霊体でしょ? 風の影響は自分でどうにかできるはずよ?」リオナはおかしそうに心の声で答えた。

「そりゃそうなんだけどね」エリックがイマイチ不安そうなので、リオナは「余裕があるなら、自力で飛んでも良いのよ? 飛翔の練習になるでしょ?」と励ました。

「ひこうせんの速度に寄るかな」エリックは答えた。「さて、向かい風か追い風か…」とエリックが言っている間に、プロペラが回り出し、飛行船はふわりと浮き上がった。


飛行船が飛び立つと、エリックは遠くなった街明かりを見て、体を無くしてから久しぶりに口笛を吹いた。

窓側の席にいたリオナにも、外の景色は少し見えているらしい。

「すっごい絶景」と、二人は同時に呟いた。

「風の具合はどう?」と言うリオナの心の声に、「少し追い風。やや横薙ぎ」とエリックは答えた。

「このブンブン言う音は何?」とリオナが心の声でエリックに聞く。

「ああ、ぷろぺらってやつの音だよ。すごくいっぱい取り付けられてる」とエリック。

「ぷろぺらって?」とリオナ。

「僕もあんまり詳しくないけど、小さなねじれたオールを花びら状に固定した物で、潮をかき交ぜて、その反発力で船を移動させるんだ。最新式の小さな船とかには付いてたかな」

エリックの返事を聞いて、リオナは「じゃぁ、その空気版がついてるって事かしら?」と、想像したイメージをエリックに送った。

リオナのイメージでは、花と言うとバラの花並みに重厚にオールが並んでいる絵が送られてきたが、エリックも訂正のしようがないので、「大体そんな物」と答えておいた。

「外装がどんなのか見るんだったら、昼間の船に乗れたら良かったね」エリックはなんとなく提案した。

「昼の便を待ってたら、あの街で何週間過ごすことになるかしらね? 観光名所も巡り歩きつくしたでしょ?」

リオナの嫌味を聞きながら、エリックは三日月のかかった空を見上げ、「ずーっと天気が良くて良かったじゃん。たまには息抜きも必要だよ」と生意気に答えた。