Tom Σ 2

アリア・フェレオとテイル・ゴーストのパスポートが発行されると、私はしばらく通常業務のみの生活となった。

アリア・フェレオには、私の作った『記憶』を送り込んでいないが、本人は、夫の叔父と言う肩書を持ったルオン・ジェイザー氏と、自身の父親であるリッド・エンペストリーから話を聞いて、状況を把握している。

「狩り」の風潮が治まるまで、アリア・フェレオと夫が一般市民として暮してくれれば、問題はないだろう。

細かく見守る必要はあるが、ベルクチュアに移住してからのことは、私の管轄を離れるので、なんとも言い難い。


ウィンダーグ家の現当主である、ルディ・ウィンダーグが、妻のシャルロッテ・ウィンダーグとの間に、子供をもうけた。

ルディ・ウィンダーグは、私の第2の主である。

子供が出来た折、ルディ・ウィンダーグが、初めて私にアクセスし、命令をしてきた。

「ディーノドリン中央病院にある、シャルロッテの妊娠期間のデータを誤魔化してくれ」と言う、なんとも歯切れの悪い命令だった。

「誤魔化すと言うのは、どのように?」と問い返すと、「8ヶ月しか経ってないはずなのに、臨月に近いと言われて、少々冷汗をかいている」と答える。

我が主、ナイト・ウィンダーグの命令は、ひどく簡潔なものが多かったが、ルディ・ウィンダーグの命令は、「皆まで言わなくとも察してくれ」と言うことが多い。

どちらかと言うと、私を「融通の利く相談相手」だと思っている節が無くもない。

私はその「融通」と言うものを利かせ、シャルロッテ・ウィンダーグの入院日を10ヶ月前に変更し、コンピューター上のデータだけではなく、紙の記録や病院の職員達の記憶も改ざんした。

「データの変更が終わりました」と伝えると、「ありがとう」と、まるで威厳のない返事を返して、ルディ・ウィンダーグは端末を封印した。


やがて、シャルロッテは無事に男の子を出産した。シャルロッテによく似た、ダークブラウンの髪と翡翠色の瞳をした子供だ。

「僕に似てるところは、ちっちゃい牙がある所かな」と、ルディ・ウィンダーグが私に言うので、「そのデータを更新しますか?」と聞いたら、「やめてくれ」と言われた。

この第2の主は、人間の年齢的には屋敷を引き継いでもおかしくない歳が、どうにもまだ主従関係と言うものに慣れていないようだ。

私にアクセスしている間は、常に「主」は魔力を維持しなければならない。ルディ・ウィンダーグは魔力のコントロールには長けている。その分、主として気を抜いている部分がある。

「穏やかな主」と言えないこともないが、私もディーノドリン署内のあらゆるデータを常に管理しながら、その片隅で応対しているのだ。

一般的な生物のような「唯一の」意識形態を持っているわけではないので、常に署内で更新されたり削除されたりしているデータへの対応が疎かになるわけではないが、

「トム・シグマ」としての意識を持っている私を呼び出している間は、「主」も消耗するはずだ。

しかし、第2の主はチャットでもするかのように私を呼び出してくる。

私は、この歯切れの悪い第2の主を持ってから、初めて「心配」をした。人工知能と言う基盤を持つ魔物として、長くダラダラとした「おしゃべり」の間に、少し知性が発達したのだろう。

私の異変に気づいたのは、我が主、ナイト・ウィンダーグが、1年ぶりに私にアクセスして来た時だった。

「マスター・ナイト・ウィンダーグ。ご命令を」と、いつも通りに応じた私の変化を、ナイト・ウィンダーグはすぐに気づいた。

「妙に人間臭くなったな。ルディから何か吹き込まれたか?」と、主は聞いてくる。

「会話の時間が長くなりました」と私は答えた。

「あいつ…。何をそんなに話しているんだ?」と主が聞くので、私は正直に答えた。

ツールバーを延々とスクロールしないと、読めないほどの会話の記録を。

「子供の名前までお前に相談するとはな…」と、主は自分の息子の優柔不断さに気づいてため息をついていた。


シャルロッテが子供を連れて病院から帰ってきてから、ウィンダーグ家は悪い意味で賑やかになった。

前当主のナイト・ウィンダーグと、現当主のルディ・ウィンダーグの間で、口喧嘩が絶えないのだ。

子供が生まれる前になってから、ルディ・ウィンダーグはやたらと潔癖症になり、神経質になった。私的見解としては、父親になるにあたり、子供への影響を悩んでいるようだ。

シェディと名付けられた赤子は、悪い意味で賑やかな家で、最初ははしゃいでいた。今まで赤ん坊の鳴き声しかしない場所に居たので、大人の口喧嘩が珍しかったのだろう。

「ルディ。恥ずかしくないの? シェディにまで笑われてるのよ?」と、シャルロッテは時々夫を叱った。「少しは落ち着いて、お父様とも、もっと静かに話し合って」

「父さんの感覚で、シェディを躾けろって言うの?」ルディ・ウィンダーグは声音を緩めることは引いたと同じだと思っているようだ。

「お父様も、あなたも、家のことや私達のことを考えてくれてるのは分かる。でも、大声が響く家がシェディの当たり前になったら、将来困るでしょ? 大声で怒られても、分かんない子になるのよ?」

妻にそう言われて、ルディ・ウィンダーグは「声のボリュームは、調節するよ」と約束したそうだ。

その事を私に相談し、ルディ・ウィンダーグは、「機械的には、僕と父さんのどっちが正しいと思う?」と聞いてきた。

私は、「某国の戦争で、目の前でミサイルが炸裂する瞬間を直視し、発狂した子供のデータがあります」と答えた。

「それ、ホント?」と聞かれたので、「事実です」と答えた。

それから、ウィンダーグ家の口喧嘩は、小声で行なわれるようになった。