Tom Σ 6

レミリアの5歳の誕生日の夜、レミリアとミリィの暮すディオン山の岩屋に、赤毛の闇の者が訪れた。

「よ。レミー、リーザ、元気だったか?」

コートの切れ目から黒い皮膜の羽を出している、少年のような闇の者は、片手に果物の入った籠を持っていた。

レミリアが、それを見て顔を輝かせる。「リンゴだ! ミリィ、ジャム作ろうよ」

「おお。レミー、察しが早いな」と、赤毛の闇の者は言って、レミリアの金糸の髪を撫でた。「ボニー産の『ルビー』って言うリンゴだ。ジャムにするのも良いが、丸ごと齧っても相当うまいぞ」

そう言ってにやっと笑う赤毛の闇の者の口元に、鋭い牙が見える。どうやら、この者は吸血鬼から派生した別種の生命体のようだ。

「リーザ。トリル達はまだか?」と、闇の者はミリィに言う。

「まだよ。工房を閉めるのが20時頃だそうだから」ミリィは答えた。そして尋ねた。「リッド。テイルにも、注意するように言ったんだけど、『月』が一つ増えたのに気付いてる?」

「ああ、この山全体を見渡してるみたいだな」

赤毛の闇の者は、あえてぼかした表現で、家族を安心させた。恐らくこの者は、私が岩屋の中の様子まで分かると言う事は分かっていても、伏せたのだろう。

私は、ミリィの呼びかけから、この赤毛の闇の者が「リッド・エンペストリー」であることを特定した。

外見年齢は、我が主ナイト・ウィンダーグより幼いが、リッド・エンペストリーは主の遠縁の伯父にあたる。

レミリアは、テーブルの上に置かれたリンゴの籠を物欲しそうに眺め、つるつるとした果物に触れてみたり、香りをかいでみたりと、食欲から来る好奇心をいっぱいにしていた。

「レミー、食べるのは、アリア達が帰ってきてからよ」とミリィに言われて、幼子は口に溜まった唾液を呑み込んでから、リンゴの籠から離れた。


数時間後、ディオン山を覆っている結界の間近に、何処かから「転移」の魔力が届いた。

姿を現したのは、アリア・フェレオだ。彼女が「伝心」の魔術で、夫に心の声を送る。「テイル。今、ふもとについたわ。あなたは今、何処?」

「すぐ近くにいる。今、そっちに行く」と、テイル・ゴーストの心の声がする。

「先に岩屋に行ってても良かったのに」と、アリア・フェレオが返事をすると、テイル・ゴーストはすぐ山の坂を駆け下りてきて、妻を抱擁した。

妻に有無を言わせず、その唇に唇を重ねる。

アリア・フェレオは驚いてもがいている。夫の頬に手を当てて押し返し、強引な接吻を中断させた。

「何? なんなの? どうしたの?」と、アリアは、小声で夫を叱った。

「何って…会えてうれしいからだよ」テイルはそう言って、ちらっと岩屋のほうを見た。「結界の中じゃ、なんでもミリィに筒抜けだろ?」

「だからって、挨拶もなく、いきなりキスしないでよ」

「キスは挨拶だって言ってなかったか?」

「それは、ほっぺにチューくらいのキスのこと」

「唇同士のほうが感触良くないか?」

「誰にでも唇同士でキスするわけないでしょ!」

「そりゃ、俺だって誰とでもキスするわけじゃない。でも、先にキスってものを教えたのはトリルだろ? トリルにも唇にキスしちゃだめなのか?」

「私達くらいの夫婦のキスって言うのも、ほっぺにチューくらいなもんなの。それより!」と、アリア・フェレオは会話を中断させ、話を変えた。「レミーの誕生日祝いは? 用意してある?」

「ある。害獣除けの翡翠。お前は?」

「着せ替え人形。ドレス3種類付き」

「それ、何の役に立つんだ?」

「『夢』を育むことには役立つわ。つまりこの人形は、想像の中のお友達よ。レミーは今の所、人間の友達は居ないから」

「ふーん。しばらくは、その人形が友達か」

「そう言う事。ほら、早く岩屋に着かないと、ミリィに怪しまれるわよ」

そう言いながら、二人は山道を登り始めた。


レミリアの誕生日を祝う小さな歌声が、岩屋の中に響いている。

小さなケーキの上に立てた5本のキャンドルの火を、レミリアが吹き消す。

パチパチと家族から拍手が送られる。

「おめでとう、レミー」と、アリアが言って、鞄の中から人形を取り出して娘に渡した。「この子は、あなたのお友達。名前を付けてあげて」

金色の髪と青い目の人形を、レミリアは目を輝かせて見つめ、「お母さんありがとう」と言った。

テイル・ゴーストは、娘の首に翡翠のペンダントをかけてやり、ミリィはケーキを4等分に切って小さな皿に分けて孫と娘と婿と自分の席に置いた。

「リッドだけ、なんにも食べるものないね」と、レミリアは言う。

「俺は後でもらうよ」と言って、リッド・エンペストリーはテーブルから少し離れた場所で、ノコギリをバイオリンの弓で弾いている。

「お父さん。それ、なんの冗談?」と、アリアが笑いながらリッドに聞くと、リッドは「いや、こう言う弾き方があるんだ。中々、妙な音で面白いぜ」と答える。

「『ノコギリを弾く』って、本当にあるんだな」と、テイルは真っ正直に感心している。

「リッドったら、この悪ふざけのために新品のノコギリ買って来たのよ?」と、ミリィが呆れたように言う。

「俺は至って真面目だ」と言って、リッドは器用にノコギリの音階を操っている。

「リッド、『海』の曲弾いて」と、レミリアはせがむ。

孫のリクエストに応え、リッドは童謡のメロディーを弾き始めた。