Tom Σ 7

私は、2年の間に観察したレミリアの記録を、我が主ナイト・ウィンダーグに伝えた。

主は、「死霊の気配や、悪霊の関りは存在しないか?」と聞いてくる。

「現在のところ、その兆候は見られません」と私は答えた。「ですが、レミリアがディオン山の結界の外に長時間出ていた場合、死霊に『探知』される可能性があります」

「なるほど。アリア・フェレオの時と同じか」

「その通りです」

「引き続き、ディオン山の観察を続けろ」

私は了解の言葉を返し、主の手元の端末をシャットダウンした。主は、それを魔力で封印した。


レミリアに関することでの私の仕事は、「観察」し、「記録」する事だけだった。主達の命令によって、本体から使える魔力も限られてくる。

アリア・フェレオの情報をデュルエーナ国内から消し去る時も、我が主からの命令が必要だった。

常に私の表層の意識では、新しい情報が入力されている。この細かな情報の中にも、ディオン山についての人間達の不審な動きがあれば、即刻削除や書き換えが言い渡されている。

以前、ウィンダーグ家の第一子である、レナ・ウィンダーグこと、レイアと言う魔女が「悪意ある侵入者の存在を消滅させる」と言う強力な結界を張ったディオン山は、

「行方不明者増加地帯」としての悪名も上がりつつあった。

それまで、鳥獣保護区であることを知りながら獣や魔獣を狩りに来ていた密猟者が主に姿を消しているのだが、密猟者であることが分からない者達にとっては、一般市民が姿を消しているのと同じことなのだろう。

「一般市民」と言う記載の情報が打ち込まれるとき、なんとも言い表しがたい嫌悪と共に私は書き変えていた。「銃を携帯した密猟者」と。

人間で言えば、「苛立ち」と言うものを覚えていた。そして、私は私の意識の中に蓄積している「苛立ち」の限界値を承知していた。

そのままでは、私は「トム・シグマ」としての統一性を暴走させ、魔力で、この国内全土の「無知なる者達」を、洗脳していたかもしれない。

そんな時、レミリアが朝食のオレンジジュースをこぼした。こぼしたと言うより、飲み損ねて服にべったりとジュースがついてしまった。

レミリアは一大事のように大騒ぎをし、着ていたお気に入りのローブを脱いで肌着姿になり、かまどの近くに居たミリィの所に服を持って走って行った。

「ミリィ。早く洗って。シミになっちゃう」と言ってジュースまみれのローブを祖母に差し出し、泣き出しそうになって居る。

「裏口にタライを用意しておくから、水につけておきなさい」とミリィは言う。

その側から、岩屋の裏口にあった大ダライがコロコロと転がって所定の位置で止まり、きちんと横になったかと思うと、裏口の近くにあった水瓶が宙に浮いて斜めになり、タライいっぱいに水を注ぎ入れる。

レミリアはいつの間にか用意されていたタライの水の中に、何も疑う事は無くローブを浸し、「押し洗いしたほうが良い?!」と、大声でミリィに聞く。

そんな様子を見ているうちに、私の中の「苛立ち」の数値が抑えられていることが度々あった。


いつしか、レミリアとその家族の存在は、私の中で「守らなければならないもの」に変わっていた。

レミリアは、その気配を悟ってか、最初に私の気配に気づいた時とは、違った眼差しで私の「視点」を見上げることがあった。

ミリィに留守番を頼まれ、話し相手が人形しか居なくなったとき等は、レミリアは岩屋の裏口から空を見上げ、「あなたは誰?」と、私の「視点」に尋ねかけてくるときがあった。

私はその問いに答える権限はない。私は言葉を返す代わりに、レミリアの母であるアリア・フェレオの魔力に似せた魔力を、レミリアに送った。

「お母さん…」と、レミリアは呟いた。だが、私は人間と同じ気配を発することは出来ない。レミリアは、すぐに本当の母親の魔力と違う事に気づいたようだ。

レミリアは微笑んでこう言った。「あなたがおっかないものじゃないって言うのは、もうわかるわ。今の魔力は、『お母さんと同じものだ』って言いたいって事でしょ?」

レミリアは、ドレスを着せ替えた人形を棚の上に置くと、裏口を出てきて私の「視点」にもう一度微笑みかけた。どうやら、何かしら自分に応えた私に興味を持ったようだ。

私はレミリアの問いにほとんど応えることは出来ない。その代わり、レミリアは想像力を働かせ、私を「話の分かる友達」のように扱った。

心のうちに隠していた、実の両親にほとんど会えない寂しさや、いつまでも年を取らない祖父母のことについての不思議を私に語り掛けてきた。

「私、この山の生活が普通だと思ってたの。だけど、3歳の時に、一度大きな街に行って、全然違う暮らしをしてる人達に会ったわ。

その時、私よりお兄ちゃんのシェディっていう子に会ったんだけど、シェディは魔術の事ほとんど知らないの。生活魔法も使わないで、どうやって暮してるんだろうって思っちゃった。

でもシェディの家には、お掃除や、お洗濯や、お料理をしてくれる、家族以外の人達が居るの。魔術を日常的に使わない代わりに、そう言う人達に、生活の面倒を見てもらってるみたい」

レミリアは、一度しか訪れたことの無いウィンダーグ家のことを詳細に覚えていた。

ひとしきり「おしゃべり」をした後、ミリィが帰ってきたことを察したレミリアは、「今の、ナイショだよ?」と言ってくすっと笑い、岩屋の中に戻った。


あまり岩屋には帰って来ないリッド・エンペストリーは、普段は世間を旅歩いている。一ヶ所で「食事」を続けて他者に嫌疑をかけられるのを避けるためだろう。

ディオン山の岩屋にリッドが帰ってくるのは、夏至と冬至の祭の時、それから孫の誕生日の時だけだ。

夏至の祭の時は、アリア・フェレオも祭に作品を持って参加しに来る。テイル・ゴーストも山の国境をこっそり越えて、デュルエーナ側に帰ってくる。

岩屋にレミリアの家族が全員集まる、数少ない機会である。

そんな、ある夏至の祭で、事件は起こった。