Tom ΣⅡ 2

台所で、その日の夕飯を作っていたメイドのサーシャ・クレイルは、ボブから「ルディ様を見なかった?」と聞かれて、「私は鍋の中しか見て無かったわ」と答えた。

朝から仕込みをして、昼食の片づけをしてから、エリーゼ奥様の秘蔵のレシピをこっそり見て、忠実に「ウィンダーグ家の味」を再現しようと躍起になって居たのだ。

昼を過ぎてからのサーシャの記憶の中には、食材と包丁とまな板とシンクと鍋しか残っていなかった。

今度こそ、エリーゼ奥様のハッシュライスを再現して見せる!

私が心を読もうとしなくても、向こうの方からビシビシと伝わってくる熱気と念を振りまきながら、サーシャは焦げの一片もつかないように、とろ火の鍋を掻きまわし続けていた。

そんな彼女だが、余熱調理の段階になって、ようやく緊張をほどいた。コンロを止めて、お玉を鍋から外し、鍋に蓋をする。

後は、30分間、自然に食べごろの温度になるのを待つばかり。

一度、窓辺に近づいて、伸びをした。頭と手先の集中力は持っても、肩や首筋の凝りはごまかせない。

サーシャが、窓から裏庭を見ると、木陰の間に誰かが立っている。

執事がバラの花に殺虫剤でもまいているのかと思ったが、その人物は身動き一つしない。

サーシャが近眼でなければ、きっとこの時、悲鳴を上げていただろう。

そこに在ったのは、原形を辛うじてとどめているだけの、ずたずたに引き裂かれた男性の遺体だったのだ。


ボブの悲鳴を聞きつけて、着替えて来たジャン・ヘリオスと、老紳士に「変化」した、我が主ナイト・ウィンダーグが、現場に駆け付けた。

ボブは、震えながら地面に腰を抜かしている。

「ボブ。どうしたんだ?」と、ジャンが聞く。

「誰かが居るから…様子見て来てって…サーシャが言って、見に来たらあれが…」と、震える声でボブは良い、木々の間に打ち付けられた男性の遺体を指さす。

ジャンは、その指先のほうに、八つ裂きにされた遺体があるのにすぐ気づいた。恐らく血のにおいがしたのだろう。どうやら、ジャンは人間の姿のままでもウェアウルフの能力を発揮できるようだ。

「ナイト様、すぐに警察へ連絡を。あれの様子は、僕が見ておきます。ボブ、すぐにルディ様を見つけてお知らせしろ」

指示を受けた2人は、すぐに二手に分かれた。

ジャン・ヘリオスが、瞳孔を赤く光らせた。木々の間に「犯人」が隠れていないか、透視しているようだ。

私も、一時的にウィンダーグ家上空の「視点」を拡大し、家族や使用人以外の誰かが屋敷に侵入していないかを探った。

そして、ルディ・ウィンダーグが、死体のある反対側の庭にある、物置小屋の中に隠れているのを見つけた。


ディーノドリン署から、複数の捜査官が来た。ジャンが現場を保存しておいたので、検視官達も、「状態の良い」現場を調査して行った。

「身元不明の男性。死後、数時間。血液の状態から、別の場所で殺害され、現場の庭に遺棄されたものとみられます」と、刑事の一人が、居間に集まったウィンダーグ家の全員に告げた。

昼過ぎから、庭の片隅にある「秘密基地」で、子供の頃読んでいた「剣と魔法の物語」を読みふけっていたルディ以外は、家族も使用人も全員アリバイがあった。

捜査員と家族達から、「こんな時になんで秘密基地になんて居るんだ?」と言う雰囲気の視線を向けられ、ルディ・ウィンダーグは「僕だって昔を懐かしむ時間は必要だよ」と言い訳をした。

一通り話を聞いてから、捜査官達は引き上げて言った。

「後からメディアが来るな。ルディ、間違っても、『僕は秘密基地に居ました』なんて言うなよ」と、我が主が息子に指示を出した。

「分かってるよ」と、ルディ・ウィンダーグが言う。「僕って、昔からこう言う時にタイミング悪いんだよな」


自室に戻ったレイアは、すぐにタロットカードを持ち出し、自分ではなく、昼間母親から受け取った写真の人物を占った。

「予知」の魔力が、レイアの部屋を中心に広く拡散されて行く。

レイアがタロットを切り始めるのとほぼ同時期に、我が主がウィンダーグ家のノートパソコンから私にアクセスしてきた。

「マスター・ナイト・ウィンダーグ。ご命令を」と受け応えると、主は「24時間以内に当家に出入りした物の記録を提供せよ」と言った。

私は、「トム・シグマ」として見ていた一端を含め、私の「視点」に記録された屋敷の粒さな情報を、3Dグラフィックで画面に表示し、24時間前の時点から「再生」した。


レイアの「予知」の魔力が治まるのと同時に、我が主が、「待て。今の所で2秒戻せ」と私に指示を出した。

「何か」が、裏庭の地中から出てくるのを、主は見つけたのだ。私もそれに気づき、2秒戻した画面から、コンマ数秒単位でゆっくりと再生を再開した。

「それ」は、小さな蟻だった。一匹の蟻が、死体のあった場所に辿り着き、木に登り始めた。

その後に続くように、蟻の群れが死体のあった場所…。正確には、「死体になるべき場所」に集まり、人間の形を作って行く。

「庭に侵入したのはこの方法か」と、ナイト・ウィンダーグが言う頃には、蟻の群れは既に「蟻」ではなく、一人の人間だったものとして、木々の間に釘で打ち付けられた姿を形作っていた。

「蟻が侵入できる程度の微細な穴なら、エミリー・ミューゼの作った結界にも侵入できるのでしょうか」と、私が問うと、主は、「いや、この蟻は『変化』だな」と言った。

「エミリーに頼んだ結界は、『変化』の魔術を封じるようには作ってないんだ。私の年齢まで誤魔化せなくなるからな。恐らく、犯人はそれが分かっている」

そう言ったナイト・ウィンダーグは、ドアのノックされる音に気づいた。屋敷の権限をルディ・ウィンダーグに譲ってから、我が主は屋敷に仕掛けられた「察知」の魔術は使わなくなっていた。

「父様。私よ」と、レイアの声がする。

「入れ」と、主は答える。そして、長年の勘から、娘が何か予知したことを察していた。「何か、分かったか?」

「ええ。とっても重要なこと。トム・ボーイも聞いてる?」と、レイアは確認した。

「ああ、今話していたところだ」と言って、主はレイアを書斎に招き入れた。