Tom ΣⅡ 4

事情を聴いたオッドは、「なるほど。私を呼びつけた理由は、大体分かった」と言った。「蟻の『変化』は捕まえてあるか?」

「実物は存在しないが、有能な防犯カメラが詳細なデータを持ってる」と、我が主。「此処じゃ紹介できないので、書斎まで移動しよう」と言って、主は応接室の椅子から立ち上がった。


2階の書斎に向かう途中、オッドは体が重そうに足を引きずりながら、「『転移』が出来なくなるほど重厚な結界を張る意味はあるのか?」とぼやいた。

「体を動かすのは重要だぞ。筋肉が衰えたら、生きてても死んでるようなものだ」と、我が主は先を歩きながら言う。

「庭を出入りするだけで足にまめが出来そうだがな」と、オッドは言って苦虫を噛み潰したような顔をした。


書斎で、パソコンから私の意識にアクセスしてきた主達に、私は死体に戻る前の蟻の「変化」のデータを見せた。

オッドは、地中から這い出して来る「蟻」の様子を見ながら、「一匹単位のデータは?」と聞いた。

「ある。トム・ボーイ。『蟻』を拡大しろ」と私に指示をした。

私は、死体の形になろうとしている「蟻」の一匹分を拡大し、生命体を模している魔力の質まで、詳細に表示した。

「こいつは、相当な悪ガキだな」と、オッドは訳の分からないことを言った。「ウィンダーグよ。お前の娘を助手に借りて良いか? それとも、お前がついてくるか?」

「能力としては、娘のほうが秀でてるよ」と言って、我が主は平服のレイアのほうを見て、「レナ。魔術着が必要ならすぐ着替えて来い」と言った。

「このままでも大丈夫よ」と、レイアは言う。

「じゃぁ、お嬢さん。片手を貸しな」オッドはそう言って、しわ深くなり始めている自分の左手をレイアに差し出した。「良いか? これから起こることは、私達3人…と、防犯カメラだけの秘密だ」

レイアは魔術を知る者として、引き締まった視線と無言の頷きだけで承諾の返答をした。

レイアの手をつかんだオッドが、パソコン上に表示されている「蟻」の画像に手をかざした途端、一瞬、2人の姿が私の「視野」から消えた。

そして、瞬くほどの間を置いて、再び元通りに現れた。

見た目としては何も変わっていないが、ひどく長時間を一瞬に圧縮したような魔力の変化があった。

私は、魔力で圧縮されたデータを解凍し、我が主にも、オッドとレイアの身に何があったのかを知らせた。

「『爆弾』の炸裂は免れないか」と、画面上のデータを見て我が主が言う。「だが、『予防』の効果は果たせるようだな」

「良い娘を持ったな。実に有能だった」オッドはそう言ってレイアの手を放し、「こう言う人材に結婚を要求するような親にはなるなよ?」と、我が主に忠告した。

「私は事情が分かるが、娘の結婚を回避するには、私の妻を納得させなければならない」と主は言う。

「お嬢さん。もう喋っても良い」とオッドが言うと、レイアは緊張の糸が切れたようにため息をついて、膝に手をついた。その腕が震えている。

どうやら、大量の魔力を集中的に放出した後らしい。

私はデータの全てを解凍し終え、これから起こることを知った。全ては既に始まり終わっていた。だが、それについてはすぐに我が主が「封じ」の魔術でデータを読めなくした。

「さて、オッド。謝礼の相談をしよう。ただし、屋敷の権限は息子に譲ったので、私個人の貯金の中から払える金額になるがな」

「なんなら、投資の話でも持って来てやろうか?」と、オッドはにやっと笑って言う。「フォレストの株はやめておいたほうが良い。4日後には破綻する」

「投資は先が分からないから面白いんだ」と、我が主。「出来レースに興味はない」

「投資すら、お前には道楽か」オッドは声を上げてカラカラと笑った。「そうだな。私も得意先には出来レースを持ちかけたことはない」

「出来レースを望む者を得意先にしないだけだろ?」と言って、主は「ハンバーガーチケットを50年分送ろうか?」と続けた。

「そいつは実に興味深い」オッドは嬉しそうに言う。「トリプルパテが頼めるものだと、なおさら良い」

この奇妙な魔術師は、そう注文を付けると、「当面の分」として、期限が1年以内のハンバーガーチケットを約千枚受け取って帰って行った。


次の日、レイアはウィンダーグ家で、求婚相手と会った。

しかし、レイアは求婚相手の周りに「蜘蛛」の気配が無いことを確認しただけで、「もう良いわ。帰っても大丈夫よ」と告げた。

「大丈夫って…どう言うことですか?」と、求婚者の男性は困惑していた。

「あなたが私に興味を持ったのは、自分を助けられるかもしれないからよ。もう、あなたは大丈夫。私の手助けは要らない」

「僕があなたに興味を持ったのは…」と言いかけ、求婚者は黙った。

「見た目がお人形みたいだから?」と言って、レイアは自嘲するように笑った。「中身は、とんでもないおてんばよ? さぁ、夢が壊れないうちに帰りなさい。あなたには、もっと優しい貴婦人が似合う」

求婚者は、自分がすっかり子供扱いされていることに気づき、暗い顔をしてウィンダーグ家を後にした。


エリーゼ・ウィンダーグは、求婚者に対するレイアの態度に小言を言ったが、「母様は、自分の将来は分からないでしょ?」と言い返され、何のことかわからないと言う顔をした。

「私も、分かんない世界で生きてたいのよ。明日がどうなるか。3食食べられて眠る場所に困らない生活も良いけど、私にも『どうなるか分かんない世界』が似合ってるの」

レイアは言う。

「予言の能力を持つ者ほど、不幸な者も居ないわ。予言した世界が叶っても叶わなくても、不平を言われるんだから」

そう言ってシャワー室に消えたレイアは、整髪料で整えていた髪を洗い、メイクを落として、香水の香りの漂う皮膚を石鹸で磨くと、風呂を上がって30分後には旅支度を整えていた。

「何処に行くの?」と、エリーゼは出かけようとした魔術着姿のレイアに聞いた。

「いつも通りよ」と言って母親に笑いかけ、「3年以内には帰って来れると思う」と言って、ウィンダーグ家を去った。