Tom ΣⅢ 2

グラウドの屋敷を後にして、エミリー・ミューゼは山間を「転移」の魔術で移動し、市内に入る手前の森の中に姿を現すと、ディーノドリン市行のバスに乗った。

平服姿のエミリーは、魔力を抑えたまま一般人を装っている。

彼女の目は、意図的に魔力を抑えない限り、常にイーブルアイの赤い光を灯している。その目はサングラスで隠し、バスの止まった停留所を何気なく見た。

8歳ほどの子供…鞄を斜めかけにしたレミリアが、停留所にいる。

保護者の姿はないが、炎を隠した鬼火を一匹連れていた。

小さな子供が一人でバスに乗ってきたので、先に乗っていた数名の大人達が、不思議そうな顔をしていた。

2人掛けの席に1人で座っていたエミリーは、「お嬢ちゃん。此処、空いてるわよ」と、何気ない風に自分の隣の席をレミリアに勧めた。

「ありがとう」と言って、レミリアはエミリーの隣に座った。エミリーは、なんでもない風に聞く。「一人でバスに乗れるなんて、ずいぶんお利巧ね。何処まで行くの?」

「ディーノドリン市の、お友達のいるところ」と、レミリアは答えた。

「お友達に会いに行くの?」と、エミリー。

「うん」とだけ、レミリアは答えて、黙った。

魔力を持った子を一人で出歩かせるなんて、この子の親は何考えてるのかしら。と言う、エミリーの心の声を聞いて、レミリアは反射的に自分の魔力を抑えた。

エミリーはすぐに気づいた。「あなた、心の声が聞こえるのね?」と、心の中でレミリアに聞く。

レミリアは、エミリーが「良い人か悪い人か」を一瞬考えたが、魔力に理解のある者だと言う事は分かったので、「うん。少しだけ」と心の声で答えた。

「ディーノドリン市も広いけど、何処まで行くの?」と、エミリー。

「パルムロン街」と、レミリア。

「奇遇ね。私の行先と同じだわ」

「お姉さんも、パルムロン街に行くの?」

「そう。仕事先のお得意様に、ちょっとご挨拶にね」

「ふーん」

2人は、声に出さず心の中で話し合っている。

そして、エミリーは、レミリアを追っている私の「視点」に気づいた。

「あなた、監視されてることに気づいてる?」と、エミリーはレミリアに心の声で言う。

「監視じゃないよ」とレミリアも心の声で言い返した。「あれはお月様と同じものだよ。私の友達。『ラナ』って言うの」

エミリーは訳が分からないと言う顔をしたが、辛抱強くレミリアの話を聞き、どうやら私が無数の「視点」を持つ魔物であると察したらしい。


エミリーは、レミリアと一緒にシルベット街でバスを降り、エミリアを洋服屋に連れて行った。

魔術着姿だったレミリアに、小奇麗な洋服を買ってやり、フェッティングルームで着替えさせてから、列車でパルムロン街に向かった。

「注意しなさい。今のディーノドリン市は、魔術師に対して険悪だから」

「うん。お洋服ありがとう。お姉さん、お仕事頑張ってね」

そう言って、一旦別れた二人だったが、ウィンダーグ家の門の前で鉢合わせた。

「あら。さっきの」

「あれ? お姉さんのおとくいさまって、ウィンダーグ家の人?」

「そうよ。あなたのお友達も、此処にいるの?」

「ううん。ラナの気配はもっと遠い場所にあるけど、ここ、私の親戚の家なの」

「なんだか、話が見えてきたわ」と言って、エミリーはレミリアを連れてウィンダーグ家の門をくぐった。


ナイト・ウィンダーグと応接室で対面したエミリーは、ディーノドリン市全体に良からぬ兆しがあることと、レミリアが「お友達」の魔物を探して居ることを説明した。

「事と次第は分かった。まず、レミリアが無事に当家に辿り着けたことを喜ぶよ」と、我が主は言う。「内緒にしなければならないとは言え、8歳の子供が無茶をするもんじゃないぞ」

「ごめんなさい。でも、ラナが知ってることを、教えてもらいたくて…」

レミリアがそう言うと、「うちの防犯カメラも有名になってしまったものだ」と、ナイト・ウィンダーグはぼやいた。

書斎に移動した3人は、ウィンダーグ家の端末から、「トム・シグマ」としての私の意識にアクセスしてきた。

「トム・ボーイ。お前に話があると言うお客様が2名来ている」と、我が主は言う。「私にも経緯を教えてくれ」

そこで、私はレミリアの「夢」の中で観察した、「悪意ある者」の姿の詳細画像を端末の画面に映し出した。

「エミリー、この者の使ってる術は?」と、我が主が聞く。

「愚者の制裁」と、エミリーは答える。

「爆雷の魔法陣の応用ね。6点に、生きた魔術師が位置して、円陣の中心部に魔力を送って術を発動させるの。術の中心部の威力は水爆並。術の外側に映るにつれて、炸裂弾みたいなエネルギーに変貌する。

術者は術の発動と共に、自我と魂を失う。此処に映ってるのは、術を起動させた後の術者の抜け殻ね。発狂してるから、こう言うのに近づくと危ないわよ」

「なるほど。ディーノドリン市に起こることは分かった。だが、この魔術と、私の妻の死はどう関係あるんだ?」

そう聞かれ、レミリアは書斎の天井を見上げた。

「みんな、もう隠さなくても良いよ」と、レミリアが告げると、書斎に住んでいるもの達が、それまで隠していた「悪しき兆候」の姿を我が主に見せた。

魔物の私でさえ、怖気を覚えるような、毒々しい魔力が書斎に吹き込む。

「これは隠すはずだ」と、ナイト・ウィンダーグは言う。「これが普段から吹き荒んでたら、魔力を持たない人間なんてひとたまりもない」

そう自分で言ってから、「なるほど。妻の死期が近づいている理由は分かった」と納得していた。

エミリーが、右手の人差し指を上げ、結界を一部強化し、「悪しき兆候」の発している魔力を屋敷内から閉め出した。