Tom ΣⅢ 4

東の国境線を超えて、夜空に姿を現したリッド・エンペストリーは、コートのスリットから皮膜のような羽を羽ばたかせ、明け始めた空を息を切らして西へ向かっていた。

いつも飄々としているこの者には珍しく、重度のダメージを負っている気配がする。

右腕には、何かの情報が書かれた羊皮紙の巻物を抱えている。左手は麻痺しているらしく、だらりと下がったまま動かない。

左脚も同様だ。

「チクショウ…。山まで持ってくれよ…」と、荒い呼吸の中で喘ぎ、羽の羽ばたきと、飛翔の魔力を強くした。


ディオン山脈の上空から、何かが落ちてくる気配を感じ、岩屋に居たミリィは上空に意識を向けた。

片羽の自由を失ったリッド・エンペストリーが、ぐるぐると旋回しながら落下してくる。

ミリィは片手を天に伸ばし、リッドのこわばりかけた体を、魔力のクッションで受け止めた。

そして、リッドの落下地点に、「転移」の魔術で駆け付けた。

「よぉ。リーザ。ナイスキャッチ」と、リッドは辛うじて動く右手を上げて見せ、痺れが届き始めている唇を引きつったように笑ませる。

「笑い事じゃないでしょ。何があったの?」

「俺がダメージ食うとしたら、何があると思う?」

「毒? 毒矢に刺されたの?」と、ミリィ。

「ご名答。少し強めの解毒剤作ってくれ。それと、俺の手柄はこれだ」と言って、リッドは右手につかんでいた巻物をリーザに渡すと、疲れ切ったと言う風に脱力した。


ミリィは、リッドを岩屋に運び、すぐに解毒剤の調合を始めた。パンパネラの体の動きを止めるほどの猛毒となれば、人間なら死亡していてもおかしくない威力だ。

長年、闇の者達と共にディオン山で暮らしているミリィには、闇の者にも利く解毒剤の知識はあった。

だが、全身に麻痺を起こしているリッドに解毒剤を投与するには、経口式は使えない。

ミリィも今までリッドの「脈」を聞いたことはない。血管が存在するのかも不確かだ。

最終手段として、筋肉注射をする解毒剤を作り、注射器に入れて、傷口に近い左肩の筋肉に解毒剤を打った。

これが効かなかったらどうなるのか、そんな心配をする中で、ミリィはリッドの持って来た巻物を見た。


テイル・ゴーストが、リッドと連絡を取るために、ディオン山の岩屋を訪れた。

岩屋では、ミリィが神妙な顔で待っていた。テイルを岩屋に招き入れた後、誰も侵入できないように岩屋に結界を張った。

岩屋の中で、リッドが真っ白な顔で息も絶え絶えになって居るのを見て、テイルは「どうしたんだ?」と聞いた。

「毒矢で刺されたらしいわ。パンパネラに有効な毒を知っている者の仕業」と、ミリィは言う。「それと、緊急でウィンダーグ家に伝えなきゃならないことがあるの」

「俺も、ウィンダーグ家から連絡をもらった。リッドに伝えてほしいことがあるって」そう言って、テイルはかすかな光を帯びている右手の平を見せた。

ミリィはすぐに、その光が「魔力でシールされた伝言」であることに気づいた。

「リッド。右手は動く?」と、ミリィが聞くと、リッドはピクリと右手の人差し指を上げた。「意識はあるわ。すぐに伝えて」

テイルはそれを聞いて、「手指が痛むかもしれないが、少し辛抱してくれ」と言って、リッドの右手を握った。


伝言の伝達を終えると、テイル・ゴーストはリッドの持って来た巻物を手にし、ミリィに「転移」の術で最寄りの駅まで飛ばしてもらい、半日かけてウィンダーグ家に向かった。

ルディ・ウィンダーグは、応接室を通さず、テイルを直接書斎まで呼び寄せた。

テイルから巻物を受け取ると、ルディ・ウィンダーグはその巻物に呪術がかけられていることを知った。

文字が紙から離れて宙に浮き、別のスペルを綴りながら、私のデータ内に焼きこまれて行く。

暗号のような文面だった文字が、デュルエーナでも使われている言葉に置き換わり、一人の人物の顔写真が浮かんだ。

ルディ・ウィンダーグは、その顔写真の人物が、レミリアの「予知夢」に出て来たテロの犯人と同じであると気づいた。

「テロの犯人の顔写真と個人情報だ」と、ルディ・ウィンダーグが端末の画面を見ながら言う。

「ディム・シンカー。36歳。アレグロムの呪術師。狂気的だな…魔術の贄として妻子を殺している。子供の頃から、動物を殺す癖があった。妻子を殺した時、デュルエーナに逃げ込もうとして逮捕された。

だが、数日後に留置所から姿を消し、行方不明…」

「留置所に反魔術はかかって無かったって事か?」テイルは疑問を言う。

「魔術を封じるための魔術も、今じゃ目の敵にされてるからな。たぶん魔術的な封印は一切されてなかったんだろう」と、ルディ。

「こいつは、一体何なんだ?」と、事情を知らないテイルはルディ・ウィンダーグに聞く。

「ちょっとした予言者が、この人物が起こすテロを予言している。その予言者は、君の娘だ」

ルディ・ウィンダーグは短く説明する。「テロの後、場合が悪ければ戦火が起こるかも知れない。エンペストリー氏に伝言は伝えてくれたかい?」

「伝えたが、リッドはしばらく身動きが取れない。毒矢に刺されて死にかかってる」と、テイル。

「承知した。僕も、デスクワークは飽きたところだ」と言って、ルディ・ウィンダーグは私に次の命令をした。

「トム・ボーイ。デュルエーナ各地の『視点』を使って、この人物の所在を突き止めろ。早急に」

「承知しました」と私は答え、すぐに「視点」を増やした。街中に仕掛けられた実際の防犯カメラや、車に搭載されているドライブレコーダー、それからweb環境に接続されている様々な危機に魔力を伝播する。

僻地は人工衛星を仲介して「視点」を作り、その膨大なデータは一度ディーノドリン署に秘蔵データとして集めた。