Tom ΣⅢ 6

ルディ・ウィンダーグが、地下でエトルを問い詰めている頃、ディーノドリン中央病院で、孫と一緒に妻の見舞いに来ていたナイト・ウィンダーグが、顔色を変えた。

「悪意ある者」が近づいているのが分かったのだろう。

「シェディ。お前には、エリーゼを頼む」と言って、我が主は病室を出た。

夜の病院は、静まり返っている。老紳士から元の姿に「変化」を解いたナイト・ウィンダーグを見て、侵入者はにやりと笑った。

「息子から話は聞いている」と、ナイト・ウィンダーグは言う。「ディム・シンカーだな?」

「ご存知とは、光栄だ。ナイト・ウィンダーグ」かすれた声でディム・シンカーは答えた。「お前には用はない。用があるのは、お前の妻だ」

「眠り姫を起こそうとして、茨の餌食になった愚か者の話を知っているか?」と言って、我が主は指を鳴らした。「お前には茨がお似合いだ」

ディム・シンカーの足元の影が、鋭い棘を持った茨のつるに変わり、脚を捕え、背や胸を這い上り、首を締めあげた。

呼吸をふさがれたディム・シンカーだったが、手腕や体にとげが刺さるのも構わないと言う風に、両腕を天にかざし、叩きつけるように影に向けて両腕から魔力を放った。

茨の蔓が、灰になるように消えた。

「中々、洒落た小細工をするな。旧家の前当主よ。私が、何の準備もなしにお前達と対峙すると思ったか?」

ディム・シンカーが、両腕の甲を見せた。骨の一部に、闇の者の魔力に対抗する力を宿したチタン合金が継ぎあてられている。

「アミュレットとは、こう使うものだ」と、ディム・シンカーは緑色の炎のような光を灯している両手につくづくと見とれている。

「その手術代を社会貢献に使う気はなかったのか?」ナイト・ウィンダーグは呆れたようにそう言って、「トム・ボーイ」と、病院の監視カメラの「視点」に合図した。

その途端、ディム・シンカーとナイト・ウィンダーグの居た場所が変わった。私が2人を別空間へ「転移」させたのだ。

「お前はまだ36歳だったな」我が主は問いただす。「50年以上生きれば、このくらいの事が出来る魔力はつく。それを実行できないのが残念だな」

「ふん。『転移』如きで…」と言った魔術師は、その空間が「何もない虚空」であることに気づいた。

声は魔力を通さなければ届かない、アミュレットも効力を果たさない。

「お前を殺そうとは思わない。孫と妻に嫌われるのでね。では、長い余命を過ごすが良い。『虚空』でな」

そう言った我が主のみを虚空から呼び戻し、私はその空間への出入り口を完全に封鎖した。蟻どころか、ミトコンドリアも通過できないほど入念に。

あの虚空の中では、息をするのにも魔力が要る。ディム・シンカーは、それは強い魔力を持った人物だ。

その魔力を、息をし、肺を動かし、心臓を動かし、それまで延髄と筋肉が自動的に行なっていてくれた行動すべてに費やさなければ、生き延びれない。

テロの後、自我を失い自殺することを想定して生きていたとしても、所定の範囲ではなく何処かの亜空間で死んでも意味はない。

生きて苦しむか、意味のない死を選ぶかは、本人にしか分からないが、私も、我が主と同じく二度とディム・シンカーに会う事はないだろう。

また老紳士に「変化」した我が主が、妻の病室に戻ろうとすると、シェディが祖母の手を握って、励ましの言葉をかけていた。

「きっと、大丈夫だよ。だって、おじい様が居るんだもん。おばあ様、昔言ってたでしょ? 『私は、世界で一番幸せな騎士に守られてる』って」

ため息をついて、安心したような表情を浮かべた我が主は、ノックをして病室に入った。


ある村で、発狂したように踊り狂い呪文を唱える者が居た。旅行者がその奇行を村人に尋ねると、「雨乞いだよ」と言って、村人は去った。

その旅行者が、「写真を撮って良いですか?」と、雨乞い人に聞いた。

雨乞い人は、旅行者の声が聞こえないかのように、何かを唱え続けている。

「生命力が持つ限界を探して居るのかしら?」と言った旅行者は、艶のある長い黒髪と、赤い光の点る灰色の目をした15歳ほどの少女だった。

「あなただけがどれだけ呪詛しても、他の仲間には届かないわ。諦めなさい」

少女がそう言っても、雨乞い人を偽装した呪術師は、呪詛をやめない。

「馬鹿を黙らせるためだけに私はここまで来たのかしら」と言って、少女は踊り狂う雨乞い人の鼻の下に正拳を食らわせた。

パンパネラ並みの力で殴られ、雨乞い人は前歯が砕けて喉に刺さった。

少女は雨乞い人の顎をつかみ、引き絞るように力を込めながら、言い聞かせた。

「ディム・シンカー、マリー・エトル、アダム・テナーは、もう拘束済みよ。悪あがきはやめるのね、ラウエル。老婆のふりも疲れたでしょ?」

「いや、まだだ。まだ『天寿の儀』は生きている」と言って、顎をつかまれ喉に歯の欠片の刺さったラウエル・フレアは言う。

「全ては霊体に戻る。この世が浄化されるのだ。彼女の死と共に」と言って、ラウエルは両腕を上げた。「私は歓喜しているのだ。雨は降る。必ず雨は降る」

まだ別の呪術を使う気か。どうしようかな。殺しちゃならないって言われてるし。と、少女は迷った挙句、「じゃぁ、あなた冷たくなりなさい」と言った。

その途端、ラウエルの皮膚はカルシウムの塊に変化して行った。

じわじわと皮膚が骨に変わる痛みを味合わせながら「変化」させたので、ラウエル・フレアは完全に固まる前に本当に発狂してしまったが、誰もそれに気づくものは居なかった。

旅行者が去った後、そこには雨乞い人の白い石像が残されていた。