ロスマイラーとアレグロム、そしてデュルエーナの接する国境付近に、リッド・エンペストリーの姿があった。
短距離瞬発型、と言った飛翔の仕方をする者だが、今回はデュルエーナの西と東を行ったり来たりだ。
国同士のいざござが絶えない三国なので、この付近の警戒態勢も重厚だ。鉄柵、金網、鉄条網、銃を持った兵士がうろつき、緊張した空気が漂っている。
リッド・エンペストリーは、もちろん無断で国境を越えて、私の「視点」が届くギリギリの範囲に居る。
ベルクチュアの山の中に、リッド・エンペストリーの知人がいるのは以前会話を聞いたので私もデータを持っているが、どうやらアレグロムにも似たような知人がいるらしい。
「アレグロムから亡命した呪術師? なんだよそれ。俺のことかよ」と、リッドと話して居る者の声がする。
「お前も、それが叶えば、こんな所に住んでねーだろ?」と、リッドの声。
「それを言うな。俺だって監視員のバイトなんてうんざりしてんだよ」
「バイトなのかよ。ちゃんとお国に雇ってもらえ」
「お国に雇ってもらってる連中は、定時で帰るんだ。その後から、夜通し監視するのが俺の仕事」
「非正規雇用ってやつか。バイト代はいくらだ?」
「アレグロムで生きていくなら、そこそこ旨い飯は食える金額」
「デュルエーナでの通貨にすると?」
「紙くずと化す」
「恐ろしいもんだな。第三国ってのは」
「だから誰も出て行けねーんだよ。普通の人間は」
声が違わなければ、リッドが2人いるような会話である。
その会話を聞いているうちに分かったが、リッドの話し相手の名前はテティス。声の質からすると、17~18歳くらいの声変りが終わったばかりの青年と言う雰囲気だ。
気配は人間だが、この者も、ミリィによく似た魔力形態を持っている。呪術師だそうだが、主な収入源は先ほど聞いた通り、監視員のバイト。
恐らく、魔力を持った者が、国外に魔術で逃げるのを監視しているのだろう。
「俺が国外逃亡に失敗させた奴なら、何人か記録にあるぞ」と、テティスは言う。
「ほう。念のために確認させてくれ」と、リッド。
「ほいほい。パスワードは、ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、と」
「よく口と手が別々に動くな」
「長年パソコンの前に座り込んでれば、こうなる。お前も何処かに雇ってもらったらこうなる」
「生涯かけて遠慮したい仕事だな」
「あ、10年前の記録開いちまった」
「別に期間は気にしてない」
「お前の頭で考えたら、期間は気にならないかもな。でも、人間は10年でだいぶ変わるんだぞ」
「そう言えばそうだな。とりあえず、軽くスクロールしてみてくれ」
「速読でもできるのか?」
「動体視力はかなり良いぞ。普段飛んでるから」
「その言い方、別の意味になると怖いからやめろ」
内容は関心深いのだが、話し方が中学生の日常会話のような以降のデータを纏めると、テティスが国外逃亡を阻止した人物は10年間で154名。
数としては少ないのかもしれないが、そのどれもが魔術や呪術を使っての逃亡を試みていると言うことが特徴的だ。
近年は、逆にデュルエーナからアレグロムへの魔術師の亡命も多いらしいが、それは「あえて見逃している」そうだ。
「アレグロムからの呪術師の亡命って言うなら、誰かに雇われてる可能性も高いぞ。なんせ、貧困層が多いから」
「国境監視員でもしなきゃ、生きていけないくらいか?」
「俺を参考にしても、普通の人間の事は分かんねーだろ?」
「此処数十年変わってないお前を雇ってる奴等がすげー」
「そこはあれだ。呪術師だから、で通ってる」
「錬金術師じゃねーのかよ」
「しかたねーだろ。魔力しか持ってないんだから」
「知力はねーのか」
「お前より頭は良いぞ。ぶっ飛び野郎」
自分がけなされているのに、リッドはケラケラと笑っている。どうやら、よほど気心の知れた仲らしい。
「そう言えば、この間の…なんだっけ。ディム・シンカーの件はどうなった?」と、テティス。
「ディム・シンカーか。存在を消された」
「え? リアルな意味で?」
「リアルな意味で」
「パンパネラってこえー。いや、他国で犯罪に走りそうなやつが消えるのはめでたいのか」
「そこでだ。ディム・シンカーと組んでそうな奴を探してんだよ」
「それを先に言え。食事休憩が30分無駄になった」
「カップ麺って言うんだよな、それ。食いながら探せば良いのに」
「割とスープが飛ぶんだよ。パソコン汚すと弁償させられるから、無し」
「スープごと、ヌードルを呑み込め」
「無茶言うな。窒息する」
「人間の赤ん坊はミルク飲みながら息が出来るぞ」
「だから、人間は10年で変わるんだってーの!」
「喉の機能まで変わるのか。めんどくせー」
「うっぜぇ奴だな。該当あったらさっさと持ってけよ!」
テティスがイライラしながら魔力を込めて端末を操作すると、1件の該当者が見つかった。