Tom ΣⅣ 0

機械の起動音が微かに鳴り、「彼女」は目を遠くへ向けた。

この国に来て日は浅いが、「道順」は覚えたらしい。

廃墟になったビルの中から、外を伺う。町は壊され、人々は姿を消している。360℃、空への注意も怠らない。他の生物の気配はないようだ。

「しばらくは籠城できそうだ」と、「彼女」は言った。

薄汚れた白い衣を着て、「彼女」と行動を共にしていた17歳のレミリアが、緊張感の絶えない表情を少し緩ませる。

「結界の準備するね」と言って、少女は魔法陣の描かれた薄い絨毯を綺麗に伸ばすと、魔法陣の四隅に魔力の宿った水晶を置いた。

レミリアと「彼女」が魔法陣の中に入ると、レミリアがスペルを唱え、結界が起動する。

「レミリア。食事は足りているか? 水分の補給は?」と、「彼女」は聞く。

「大丈夫。水はさっき集めたから」と言うレミリア。「彼女」がその様子を見て言った。「唇の表面が乾いている。少し飲んでおけ」

「うん。あなたは、体大丈夫? エネルギーはまだ足りる?」

「光が少し必要だ。夕刻まで充電する」

「分かった」と言って、レミリアは日向の席を「彼女」に譲った。

瞬きをやめた「彼女」の目と、光に向けた両手の爪を通して、エネルギーが供給され、体内で発電機が回り出す。

小さな帯電音を立て始めた「彼女」の体から少し離れ、レミリアは飲料水のペットボトルを取り出し、キャップを開けて、唇を湿らせた。


相棒が動かない間、レミリアは、小さな手帳を読み始めた。

「『通信』は途切れてない…お母さんは、まだ生きてる」と、呟く。

母親のメッセージを中継しているらしい、その手帳を数日戻ると、こう書かれている。

「リム・フェイド氏から連絡が来た。彼の所属するベルクチュアの企業が、不穏なものを作ろうとしていると言う情報だ。それは、『ダークビート』と呼ばれている」

レミリアがその文面を改めて読むと、デュルエーナで魔術ブームが起きた折、遊び半分で魔術を体得したものが、「ゲーム感覚で魔術を試せる敵」を欲しがり始めた旨が記載されていた。

リム・フェイドを雇っていた企業は、その「敵」の開発に乗り出し、数種類のクリーチャーを創り出した。

どのクリーチャーも、人間が体力を保てる一定時間が経つと、急速に動きが鈍くなり、急に「眠り」に落ちる。

クリーチャーと数分間の「バトル」を楽しんだ魔術師は、この「眠り」の時を待って、最後に自分の使える大技を使って、クリーチャーを仕留めると言う茶番のために作られたのだ。

だが、中に不完全な者が居た。何時間経っても「眠り」が起こらず、活動し続ける。攻撃性が鈍く、動きもそう早くないクリーチャーなので、管理もそんなに重要視されていなかった。

ある日、職員がそのクリーチャーに爪で引っかかれた。与えようとした餌を、面白半分に引っ込めたので、クリーチャーの機嫌を損ねたらしい。

小さな引っかき傷だったので、最初はその職員も引っかき傷が出来たことには気づかなかった。

問題の職員は、一日の業務を終え、同僚と酒を飲みに行き、家に帰って入浴を済ませ、眠る前になってようやく引っかき傷に気づいた。

特に痛む様子もなかったようで、職員はその傷を放っておいた。軽い咳が出たので、むしろ風邪を気にして早々に眠りに就いた。

何日経っても傷と咳が治癒しない、と気づいたときには、その職員の様子は様変わりしていたらしい。

目が血走り、気分が悪いように辺りをチラチラと見まわし、些細な音や湿度、光に反応してショック状態になる。

これは何かおかしいと、病院に連れて行かれた時、治っていない引っかき傷が発見された。

最初は、何等かの病原菌が傷口から感染したのだろうと思われていた。

その職員から、「クリーチャーに引っかかれた傷だ」と言われて、ようやく例の「眠り」が起こらないクリーチャーを調べることになった。

リム・フェイド氏は、そのクリーチャーの血液を観た時、「ウェアウルフ化」と同じ型の病原菌を持って居ることに気づいた。

傷から感染した病原菌は、その職員の体内で急速に増殖し、咳から周りの人間に飛沫感染していた。

職員の家族と同僚には全員、魔法薬の抗菌剤を投与されたが、この病原菌は、既に外部に広がっていたのだ。

病原菌に対する対応の遅れは確実だった。この情報は公にされないまま、感染者は次第にベルクチュア全体に広がって行った。

レミリアはそこまで読み、日が傾き始めているのに気付いた。

「彼女」の瞳と爪を照らしていた光も、遠退きつつある。

帯電をやめ、「彼女」は目を瞬いた。「98%まで充電出来た。レミリア、そろそろ眠っておけ」と、落ち着いた様子で指示を出す。

「ありがとう。見張り、お願いね」とレミリアは言って、バッグを枕にすると、まだ温かい秋の夕方を眠りに就いた。