Tom ΣⅣ 1

まだ朝とも呼べない薄暗い早朝、レイアがウィンダーグ家に帰ってきた。家の中に挨拶に行くより先に、裏庭に作られたエリーゼの墓の前に行く。

先に来ていたリッド・エンペストリーが、「お嬢ちゃん。墓参りなら花くらい持ってきな」とレイアに言った。その足元の墓石に、リッドが持って来たブーケが供えられている。

「あなたが親戚だったとはね」レイアは母親の墓前でリッドに言う。「いつも私が困ってる時に現れるから、何処かのスーパーヒーローかと思ってたわ」

「そう思ってもらえてたのが光栄だな」リッドはそう言って軽く笑う。「孫には『あくじきじーちゃん』だと思われてるもんでね」

「エネルギーの原理が分かって来れば、その誤解も解けるわよ」と、レイアはリッドの隣に並んでエリーゼの墓を見下ろす。「母様は、苦しまなかった?」

「『眠るように』息を引き取ったらしい。呪術によるものか、自然死かは不明だけどな」と、リッド。

「きっと、月の女神に導かれたのよ」と、レイア。「母様は、最期を恐れるような人じゃないもの」

「眠る月の神話か」リッドは面白そうに話しを広げる。「『目を閉じる赤き月に、弓を得た黒衣の女神あり』」

「『その者導くは魂を冥府へ。怒りを生命へ。瞼閉じる者に沈黙を与え』」と、レイアは続ける。「『停止する白き骨に刻まれし契約なり』」

「安心しな。『母様』は既にガイアの一部だ。月の女神も取って食えねぇよ」リッドはそう言って、空が白み始めたのに気付いた。

リッドは冗談めかせて言う。「そろそろ俺は避難しなきゃな。お天道様に焼き殺されちまう」

「そう言う所は、普通のパンパネラと一緒なのね」と、レイア。「お天道様には、スーパーヒーローも形無しかしら?」と言って、子供の頃のようにクスクスと笑った。


レミリアが「朝」の夢を見た日からのことを、私の記憶の一部に保存しておこう。

5人目までは特定できていたテロの実行犯だが、リッドがアレグロムの知人テティスから受け取った一名の情報を元に、恐らくテロに関わっているであろう2名は特定できた。

しかし、探すまでも無かった。彼等は、とっくに命を捨てる覚悟をしており、そしてそれを実行したのだ。

ロナウド・フェンネルが死んだ後、ディーノドリン市を中心に置いて、国内の2点から、魔力が解き放たれた。

「天寿の儀」を行なうためには、贄である「天寿を全うする者」を中心に3ヶ所に術者が位置し、自分達の魂を原動力に術を発動させる。

そのエネルギーは、贄の骨が朽ち果てるまで固定される。

「鍵」がセットされることで術が効力を発揮し、今回の場合は、デュルエーナ国内、少なくともディーノドリン市内の、魔力を持った者以外を消滅させると言う呪術だ。

ロナウド・フェンネルは、死と引き換えに自分の魔力をレイアの魔力の中に植え付け、彼女を「鍵」とすることに成功した。

エリーゼの訃報を聞き、レイアが母親の亡骸に会いに来る時が「起爆」の要点だった。

だが、レイアはその呪術の発動を事前に知っていた。アーク・マリア・オッドと共に、時を超え、最初の事件を解決したときから。

レイアがウィンダーグ家を離れる前に、エリーゼと会話を交わした「3年以内には帰れる」と言うのは、エリーゼの死後、リッドがエリーゼの骨を「消して」くれるまでの期間を含めていたのだ。

全ては既に始まり、終わっていた。

記録が過去として定着するとき、我が主、ナイト・ウィンダーグが私にかけていた「封じ」の魔力が消滅した。

封ずる意味を無くしたからだ。そして、私は今、全てを知っている。


エリーゼの死後、ナイト・ウィンダーグは、老紳士の姿から「変化」を解くことを拒むようになった。そして、食事の摂取量も極端に減った。

ウィンダーグ家に住む者達は、誰もそのことを咎めなかった。

ついに寝室のベッドから起き上がれなくなったナイト・ウィンダーグを見て、ルディ・ウィンダーグは「母様が先に居るから、道は間違えないよね?」と言って苦笑した。

「私は、いつも憧れていたんだ」と、かすれた声でナイト・ウィンダーグは言う。「花が咲いて散るように、一瞬だけを全力で生きる生命に。それが、私にとっての『人間』なんだ」

「いつも全力じゃ、疲れちゃうよ?」と、ルディはベッドの横の椅子に座り、こう返す。「父さんが、叶えたい夢がまだあれば良いんだけど」

「夢か…」と言って、ナイト・ウィンダーグは目を閉じた。「ワインが飲みたいな。エリーゼとの結婚式で飲んだのと同じ」

「年代は覚えてる?」と、ルディ。

「あの時は舞い上がってたからな。何もかもうろ覚えだ」ナイト・ウィンダーグは目を閉じたまま言う。「ああ、あの時のシャンパンがまだ残ってたな。お前達が生まれた年の…」

「すぐ取ってくるよ」と言って椅子を離れようとしたルディ・ウィンダーグは、ナイトの体から青白い霊魂が離れかけているのを見た。

「父さんったら、いつまでもせっかちなんだから」ルディはそう言って、「母さんによろしくね」と呟いた。

「変化」を解いた姿の、癖のある黒髪とアッシュグリーンの瞳をした青年の霊体が、一瞬、確かににっこりとほほ笑んで、宙に消えた。

ルディ・ウィンダーグは潤んだ目をぬぐうと、寝室の外に出た。


アリアの一家と、ウィンダーグ家のごく親しい親類が集められ、ナイト・ウィンダーグの葬儀が深夜に行われた。家に仕える使用人達も、出席を許された。

エンバーミングされたナイト・ウィンダーグの遺体は、エリーゼ・ウィンダーグの墓の隣に埋葬された。

シェディ・ウィンダーグが、からりと晴れた夜空を見上げ、「雨だったらよかったのに」と呟いて、涙をこらえていた。