ナイトの死亡時、エンバーマーとして呼ばれた、ルディ・ウィンダーグの学友、リム・フェイドが、おかしなことを言っていた。
「防腐処置は完璧にできたよ。だけど…科学者としても、こんなこと言うのはおかしいと思うんだけど、なんだか死体を扱ってるって気がしなかったな」
ルディが、「何せ純潔の吸血鬼だからね。そりゃ、人間の死体とは違うさ」と言うと、「そうかも。おかげで、良い修業させてもらったよ」とリムは言ってから、ルディの胸を軽く叩いた。
「ルディ。顔が曇ってるよ。似合わないぞ」と言い残し、タクシー乗り込んだ。
「アレックスによろしく」とルディが声をかけると、「ああ。そっちも、みなさんによろしく」とリムは返し、タクシーのドアを閉めた。
主達の喪に服するため、ウィンダーグ家から笑い声が消えた。
私は残された業務を遂行するため、シェディとレミリアの観察を日々続けている。
シェディは常に何か黒い色の物を身につけるように言われ、浮かない顔をしながらも、その日は白いシャツの右肘に黒い腕章をつけていた。
階段の途中に座って、バスケットボールを手の間でくるくる回している。
「シェディ様。時間が余ってそうですね」と、冗談気味にボブが声をかけてきた。少しでも明るい気分になってほしいと思っての事だろう。
「ボブは通常営業なの?」とシェディが聞くと、「ええ。埃や泥は、毎日降り積もるんですよ。僕の仕事は、そいつ等からこの屋敷も守ることです」と、ボブはシェディを避けて階段にモップをかけ、
シェディの居る場所より数段下に着いたとき、首をひねってシェディを見上げながらこう切り出した。
「大旦那様は、きっと生きてます」
思わぬことを言われ、シェディはボールを落としそうになった。「何言ってるんだ? おじい様は、防腐処置までされたし…。いくら吸血鬼だって、生きてるはずないよ」
「僕の予感です」と、ボブは言う。「1週間もしないうちに、きっと帰ってきますよ」
「ボブ。君って、意外と空想家だなぁ」と、呆れたようにシェディは浅く笑う。
「空想じゃないですよ。僕のばーちゃんだって、帰って来たんですもん」
「え? ボブのばーちゃん、アンデッドなの?」
「いいえ。僕のばーちゃんが死んで、3日目くらいに、玄関に誰かの来た気配がしたんです。僕が様子を観に行ったら、ドアのレバーがひとりでに倒れて、3センチくらいドアが開きました」
ボブは、真面目な顔で言う。
「どなですか? って聞いても返事が無いから、ドアを開けてみたんです。だけど、誰も居ないんです。それで、『ああ、ばーちゃんが帰って来たんだな』って思いました」
「ボブの家は『天国』の話は信じてないの?」と、シェディ。
「信じてないことはないけど、それほど敬虔でもないです。色んな国の血や文化が混ざってる家なので、色んな考え方を小さな頃から教えられました。僕の今の話は、その中で、僕が得た直感で思ったことです」
シェディは、子供の頃からこの屋敷に仕え、学業に力を注ぐ間もなくモップを操っていた少年が、まさか自分より広い世界観を持っているなんて思っていなかったようだ。
ボブは続ける。
「大旦那様は、何者でもなく吸血鬼でしょ? 普通の『神』や『天国』に導かれるはずはありませんよ。きっと、もっと複雑な…この世界とそう変わらない所で、大奥様と会ってるはずです」
「おばあ様も、『天国』には行ってないってこと?」
「そりゃそうですよ。なんて言ったって、自分の夫が決して『天国』に行くことなんて望まないって、分かってらっしゃいますもん」
シェディは、それを聞いてようやく苦笑いをした。「うん。そう考えると、おじい様はおばあ様に会いに行くために、体を抜け出したって事か」
苦笑いであれ、シェディが顔をほころばせたのに満足したボブは、またモップ操りながらこう言った。
「その通り。きっと、近いうちに帰ってきます。『エリーゼがよろしくって言ってたぞ』なんて言って」
シェディは、ボブの背中に声をかけた。「ボブ。僕、君と会えてよかったな」
ボブが、照れ笑いをしながら振り返らずに言う。「僕も、こんな不思議なお屋敷に雇われて光栄です」
「ボブは、いつまでこの屋敷に居られるの?」と、シェディ。
「僕の家にお金を送らなくてもよくなるまでです。それで、個人的な貯金が貯まったら、御奉公は終わりです。僕、絵本作家になりたいんですよ」と、ボブは初めて自分の持っていた目標の話をした。
シェディは、自分より数年しか長く生きていない少年が、既に人生の計画を決め、叶えるための目標まで見据えているのに、感慨深いものを感じたようだ。
「僕は…なんになろうかな…」と、シェディは今まで思ったこともない、「空白の未来」を思い描いて、武者震いをした。
何せ、自分には「闇の血」が流れている。普通の人間より、老化は遅く、寿命は長い。その間に何が出来るかと言ったら、可能性は人間よりずっと広いかもしれない。
「僕も、何か書いてみようか…」と、シェディは呟いた。そして、階段の随分下まで行ったボブに声をかけた。「ボブ。絵本が出来たら、僕にも見せてね」
「良いですよ」と、ボブは声を張り上げないようにしながら答える。「でも、そのことは秘密にして下さい」
「なんで?」と、シェディ。
「夢って言うのは、言わないほうが叶うんです」と、ボブはまた不思議なこと言う。きっと、何処かの国のジンクスだろう。
「うん。分かった」と言って、シェディはようやく階段から立ち上がり、自分の部屋に戻った。