Tom ΣⅣ 3

ディオン山の「ラナ」の視点の記録を見てみよう。

10歳になったレミリアが、完璧に使いこなせるようになったいくつかの魔術を使って、岩屋の裏口で洗濯をしている。

使いこんである大ダライの中で、水と魔法薬の洗剤が渦を巻き、洗い物を始末していた。洗われた物は、布が歪まないように丁寧に絞られ、所定の物干しに一つずつかけられて行く。

「ミリィー、この洗剤、もうちょっと効力弱いほうが良いかも」と、裏口の近くにいる祖母に声をかける。

「何か不都合でもあった?」と、どう見ても10代半ばに見えるミリィが聞き返す。

「汚れは良く落ちるんだけど、色褪せもすごいんだよ。それとも、使う量の問題かな?」と、レミリア。

「そうねぇ…。配合と使い方によって、少しずつ違ってくるものだから。色落ちしないけど、汚れは落ちるって言う配分を考えると良いわ」と、ミリィ。

「そうか。薬品の配分ね」と言って、レミリアは指先から空中に光を文字を飛ばし、小さな光の文字でメモを取った。

どうやら、今は魔法薬の作り方を学んでいるらしい。魔女の修業としては、この段階が来ると、総仕上げが近い。

レミリアは、まだ時々、知らず知らずのうちに「予言」をする。だが、メモに書き間違えたり言い間違えたり聞き間違えたりした言葉通りの事件が知らされても、本人も驚かなくなった。


ある日、レミリアが粉とスプーンと測りをよく見ながら、風邪薬を作っていた時だ。

何処かから、耳鳴りのような音が聞こえてきた。「おぉ~い。どれだけふかくうめたんだ」と、その声は言っているように聞こえた。

レミリアの脳裏に、ウィンダーグ家の葬儀のことが思い浮かんだ。

レミリアは、薬の粉が飛び散らないように、スプーンを壺に戻し、「ミリィ! シェディの家…。ウィンダーグ家に連絡して!」と叫んだ。


数日後、ナイト・ウィンダーグの墓は、「無事」に掘り起こされた。

「どれだけ持ち上げても蓋が開かないもんでな。2~3日、この世を呪ってたぞ」と、屋敷のリビングで死に装束の我が主は言う。「しかし、一度死んだにしては関節の動きが良いな。上等なエンバーミングだ」

一度死んだ主が、まるで何事もないように肩を回しているのを、家族と使用人達は呆然と見ていた。

「えーっとね、父さん」

と、呆気に取られている家族達の前で、ルディ・ウィンダーグが言う。

「父さんの血管には、防腐剤が流れてて、脈もないし、喋ってるってことは息はしてるんだろうけど、肺も動いてないはずだよ? なんで生き返るの?」

「エリーゼに頼まれたんだ。『あの子達には、まだあなたが必要よ』とな。まぁ、一度体を捨てた身だ。多少の不自由はあるのは承知で戻って来た」と、我が主はけろっと言う。

「じゃぁ、今喋ってる声は息をしてるんじゃなくて…」と、ルディが言いかけると、「その通り。魔力でしゃべってる」と、ナイト・ウィンダーグは言う。

「サーシャ。ボブ。父さんの声は聞こえる?」と、ルディは使用人達に聞く。

「はい。はっきり聞こえます」と、サーシャ。

「おはようこんにちはこんばんは。夜に言うのは?」と、ナイトが使用人達に問う。

「こんばんは」と、サーシャとボブが答える。

「なるほど。聞こえてる」と、ルディ・ウィンダーグも納得した。

「死んでた吸血鬼が生き返るのは、何も不思議なことじゃない。歴史的にも、そう言う話はたくさんある」

居候と化しているリッドが言う。

「防腐処置までされてるのに生き返った奴を見たのは俺も初めてだけどな」

「言わば、この体は入れ物のようなものだ。いつでも霊体に戻ることもできる」と言って、ナイト・ウィンダーグは、体の背後に青白い霊体をぼんやりと滲ませる。

「より一層、化物じみてきたな」とリッドが言ってニヤニヤしている。「お前の『時間』だけは絶対食いたくねぇ。まずそうだ」

「一度蓋を開けたワインのようなものですからね。酸化しきっているでしょう」と、我が主も冗談を返した。


レイアは、その一連の奇妙な出来事を、旅先に送られて来たルディ・ウィンダーグの「伝心」で聞き、大笑いをしていた。

「父様、やっぱり母様が恋しいだけだったのね」と、レイアは言いながら腹を抱えた。「おかげで私も仕事に復帰できるわ」

「え? 占い業、休んでたの?」と言う、ルディの心の声を聞いて、レイアは返す。

「近い身内に不幸があると、魔力にも影響があるのよ。だから、しばらく節約生活してたの。おかげで路銀はもう少しですっからかん」

「だったら、家に居ればよかったのに」と、ルディ。

「おっかない小姑がずーっと家に居たら、シャルロッテが嫌がるでしょ?」レイアはいつかルディが言った冗談をはっきり覚えていた。


2年後、「ラナ」の視点を閉じる時が来た。レミリアが、隣国ベルクチュアに住んでいる母親、アリア・フェレオの家に同居することになったのだ。

一通りの魔術修業を終え、レミリアが選んだ職種は、「メディウム」。つまり、霊媒師だった。

魔力と一緒に霊力も鍛えられている状態なので、魔女から霊媒師への転職は簡単だ。

「予言」の能力が今後衰退するか、増長するかは分からないが、今のレミリアなら、その能力ともうまく付き合えるだろう。

レミリアは、ディオン山を離れる日、わざわざ岩屋の裏口から出てきて、「ラナ」の視点を見上げた。

「ラナ。今まで、ずっと見守っててくれて、ありがとう。あなたが居なかったら、私、死んじゃってたかもしれない」

レミリアは、そう言って涙ぐんだ。目を握りこぶしで拭き、レミリアは続ける。

「あなたの魔力が届かない場所に行くのは分かってる。怖くないけど、ちょっと不安かな。迷うことがあったら、またあなたに会いに行くよ。じゃぁね」

私の見守って来た幼子は、そう言って、迎えに来ていた母親と共に、ディオン山を離れた。