大学に通うようになり、一人で外出することを許されたシェディは、街の中でごった返す人間を観察しながら、無意識に紫色の瞳の女性を探して居た。
ディープブルーの瞳が一瞬紫に見えて、はっとしたりもしたが、どれも「理想のリオナの眼」とは違った。
「シェディはいつも紫の眼の女性ばっかり描くのね」と、大学で知り合った同級生の女の子に言われたことがある。
「うん。宝石みたいな色の目が描けるようになるのが目標なんだ」と、シェディは心の内のことは隠して答えた。
「ふーん。中々無い色だから、大変でしょ? アメジスト色って」
と言ってから、その女の子は、同じ絵描きとしてシェディにこんな提案をした。
「最終的に描きたいのが人間の眼だとしても、色んな動物や植物を色を表現するのも、訓練になるよ。ハイドランジアの絵を描いてみたら?」
「ハイドランジアか…。いいかも。僕、今まで人間の眼の色ばっかり見てた」
「そう言う失敗って、結構あるからね。頑張れよ、少年」と言って、その女の子はシェディの肩をちょいっとつつくと、アトリエから出て行った。
シェディが大学生活を満喫しているうちに、アリア・フェレオの一家がウィンダーグ家を訪れた。
丁度季節は6月。屋敷の庭のハイドランジアも美しく咲き誇り、シェディは自室の窓から花を観ながら、絵筆を振るう手を休めていない。
「シェディー? アリアさん達が来たわよー?」と、遠くから母親の声がする。「今行くよー!」と返事をして、キリの良い所まで絵筆をすすめようとしていた矢先、シェディの部屋の扉がわずかに開いた。
「母さん。勝手に開けないでよ。今行くって…」と返事をして、扉の方を見たシェディは、一瞬その色に目を奪われた。
追い求め続けていた「リオナの瞳」が、生命を持ってそこに在ったのだ。
「シェディ。久しぶり」と言った、その声は聴き覚えがあった。金色の髪を三つ編みにし、まだ日に焼けていない褐色の肌をしている少女。
「レミー? レミリアなのか?」シェディは呼びかけながら、14歳目前になった従妹に駆け寄った。
「シェディ、すっかり大人になっちゃったね」と、自分よりずっと背の伸びたシェディを見上げながら、レミリアはいつものように声をかけた。
アリア達は、いつの間にか計画されていたシェディの20歳の誕生日を祝うために、ウィンダーグ家へ来たらしい。
シェディは、プレゼントやケーキの登場に、「ありがとう」を繰り返しながら、気恥ずかしそうにしていた。
「美術を習ってるんですって? 何を作ってるの?」と、アリアが晩餐の時に聞いてきた。
「絵を描いています。色々…動物とか、植物とか、人物とか」と、シェディが言うと、ルディは「おいおい。反対じゃないのかい?」と茶々を入れてきた。「人物とか、植物とか、動物だろ?」
「どっちだって関係ないだろ」と、シェディは少しイラっとした風に答えた。
「紫の瞳の女性がお気に入りなんですよ。どの絵を観ても、キラキラのアメジスト色ばっかり」と、シャルロッテ。
シェディの両親が、息子の「好みの女性」についての揶揄をアリアの一家に面白おかしく披露すると、シェディはすっかり機嫌を損ねたようで、むっつりしたまま喋らなくなった。
その様子に誰より先に気づいたレミリアが、「シェディ。また、屋敷の中を案内してよ」と言って、シェディを大人達の笑い声の中から連れ出した。
誰も居ない廊下の端の、赤い結界の紋章の描かれた壁の前まで行くと、レミリアはそっとシェディに言った。
「シェディ。あなた、好きな人が居るんでしょ?」と。
シェディは廊下の窓に寄りかかると、「みんなには秘密にしてくれる?」と言って、レミリアに自分が2年間の片思いをしていることを打ち明けた。
「その人、実際に生きてる人じゃないんだね」と、レミリアは言う。
この子には、何も隠し事は出来ない、とシェディは覚悟を決めて、恋の相手は物語の登場人物で、挿絵一つ見たことが無いと告げた。
「だけど、その人のことを思うだけで、僕も遠い世界に旅に行けるような気がするんだ」と、シェディは言う。
「そう言う話、聞いたことあるよ」と、シェディの隣に並んで、レミリアは言った。
「ピグマリオンって言う王様の話。象牙で作った女性の像に恋をして、女神に祈ってその像を本物の女性にしてもらって、結婚するの」
「僕、おかしくなってるのかな…」シェディは初めて弱音を吐いた。「どんなに綺麗に描いても、『本物』には成らないことは分かってる。だけど、いつもどこかで彼女を探してるんだ」
「シェディ。私、昔お母さんから聞いたんだけど、恋の相手って、自分と同じ種族とは限らないんだよ。風景や、音楽や、宝石や、星や、絵、色んな所に恋の相手は転がってるんだって」
レミリアが語る言葉を、シェディは黙って聞いていた。レミリアは続ける。
「シェディは、『知らない世界を旅する』って言う、物語に恋をしてるんだ。その物語の世界に導いてくれるのが、シェディの恋の相手なんだよ。シェディはなんにもおかしくない。
小さな頃の私の友達だって、人形のエルマしかいなかったんだもん。だけど、エルマはいつも私と一緒にいてくれて、色んなイメージの世界を二人で冒険してた。エルマは、今でも私の親友だよ」
その話を聞いて、シェディは肩の力が抜けたように笑んだ。そしてすっかり身についた自嘲癖を発揮する。
「レミー、君を否定するわけじゃないけど、僕はまだ人形と遊んでる女の子と同じ精神状態って事かな?」
「しょうがないよ。恋した相手が悪かったんだから」と言って、レミリアは悪戯めかして笑った。「いつか、その人の絵が出来上がったら、私にも見せてね」
その、生き生きとしたアメジスト色の瞳を見て、シェディは思わずレミリアの頬に手を当て、自分のほうを向かせた。
様子のおかしさに気づいたのだろう。レミリアは、「シェディ?」と従兄の名を呼ぶ。
「あ。ああ、ごめん」と、我に返ったシェディはレミリアから手を放した。