トリルの日記 Ⅰ 2

朝早く、何処かで強い魔力の波動がして、私は岩屋の中のベッドから飛び起きました。

家に帰って来たばっかりだったお父さんも、すぐに気づいて、空が青白くなりかけていた外に飛び出して行きました。

私が、暖炉の中の炎を見ると、そこに、焼き殺された大型の獣の死骸と、腕から血を流して倒れているお母さんが映っていました。

きっと、薪を拾いに行っていたお母さんは、この獣に襲われてとっさに魔術を使ったんです。

でも、腕の傷は獣の噛み傷とは違いました。肘から先の腕が、吹き飛んだように無くなっていました。すぐに、炎の中にお父さんの姿も現れました。

お父さんがお母さんに駆け寄って、肘の前で無くなっているお母さんの片腕の近くに手をかざしました。

私は、その時初めて、お父さんが「形を失ったものを元に戻す」瞬間を見ました。お母さんの腕は、バラバラに千切れとんだ部品が全部正常な位置に戻るように、再び当たり前の腕になりました。

お父さんは、弱ってるお母さんを抱き上げて、岩屋に戻ってきました。二人の服は、お母さんの腕に吸い込みきれなかった血液で、所々真っ赤になって居ました。

「お母さん大丈夫?」と聞くと、「私もだいぶ鈍ってたわ。自分の腕まで吹き飛ばしちゃうなんて」と、岩屋のベッドに寝かされたお母さんは言いました。

「トリル。暖炉を見てたならわかったでしょうけど、魔術は少しでも間違えると、あんなことになるの。悪ければ、自分の身が砕けるだけじゃないわ」

私は、自分の体がおかしくなっちゃう以上に大変なことなんて思いつかなかったので、「悪いことって、どうなるの?」と聞きました。

「もし、さっき魔力を使った時に、近くにあなたやリッドが居たら…きっと、魔力の暴発に巻きこんでた。そうなることが、魔女にとっては一番避けなければならない災厄」と、お母さんは答えました。

「そんなこと、成りっこないわ」私は言い返しました。「お母さんが、私やお父さんを傷つけるはずないもの。もし、そうなっちゃっても、お父さんが治してくれるじゃない」

「トリル。俺にも、治せない傷はあるんだぜ?」と、お父さんが言いました。「傷を負う時の痛みやショックが大きければ、意識が戻っても気が触れちまう場合がある。それだけは、俺にも治せない」

私は何か言い返したかったけど、お父さんが「出来ない」って言うのを聞いたときは、いつも本当に「不可能」な時だけだったと気づいて、私は口をつぐみました。


ある日、いつも通り文字の練習をしていた私は、不意に、お父さんがいつも老木に触れてから、「五十年」や「九十年」なんて呟いていた意味が分かりました。

お父さんは、木から「時間」を吸い取っていたんだって。

それなら、おまじないの握手をしたお母さんがいつも「元に戻る」のも、説明がつきます。

お父さんのコレクションの「アンティーク細工」って言うのが、手入れなんてしてるところ見たことないのに、いつもピカピカの状態なのにも納得できます。

でも、それなら、気が触れるほどのショックを受けた人だって、ショックを受ける前まで「時間」を吸い取ってしまえば良いんじゃないかなぁって思うんだけど。

それをお父さんに話したら、お父さんは少し難しそうな顔をして、「種族にもよるが、動物の『時間』って言うのは、樹木やアンティークなんかより、ずっと緻密で短いもんなんだ」と言いました。

「意識を失うほどの重症を治した後で、ショックの『記憶』だけを無くすのは、かなり難しい。それだけは言える」

お父さんはそう言ってから、「不可能なものは不可能。納得してくれ。それより、トリルは自分の力の操り方を覚えるんだ」と言って、私にカリグラフィーのペンを差し出しました。


荷造りをしていたとき、5年前に書いていた日記の切れ端を見つけて、私はその続きを記そうと思った。

お母さんとお父さんにみっちり技術と時間をもらって、15歳になった私は「アミュレット技師」として生計が建てられるくらいの能力を手に入れた。

これから、町の中に借りたアパートで生活しながら、仕事を探していくつもり。

お母さんは、「いつでも帰っていらっしゃい」と言って、私を送り出してくれた。

お父さんは、山を下るまで私についてきてくれて、「困ったことがあったら、ここに連絡しろ」と言って、住所と電話番号の書かれたメモをくれた。

「俺の遠縁の甥が当主を務めてる屋敷だ。リッド・エンペストリーの娘だって言えば、取り次いでもらえる」

そう言うと、お父さんは、まだ真っ暗な午前4時の空を飛んで帰った。朝焼けが出る前に、岩屋に着いていれば良いけど。


始発の列車に乗って、シャーロンと言う駅で列車を降り、アパートの大家の所に行った。

鍵を受け取って、アパートに行くと、私の新しい家は、張り替えられたばかりの床板ばかりがギラギラしている、真っ白な部屋だった。

お母さんが「転移」の魔術で送ってくれた、カーテンやテーブルやベッドなんかの、必要最低限の家具は置いてある。

部屋は2つ。それからキッチンとシャワー室付き。初めて住むアパートとしては、上出来だ。

ベッドの置かれている寝室には、お父さんが好きそうな、アールヌーボー時代の物だと思われる古い立派な洋服ダンスも片隅に置かれていて、何気なく一番下の段を開けてみると、妙なものが入っていた。

「やれやれ。やっとご主人様のご到着か」と言って、「それ」は、タンスの中から首をもたげた。

「ウサギ…?」と私が聞いたのは、そのウサギが、小人症の人間くらいの大きさはあって、服を着ていたからだ。

「ウサギとは失礼な。私は、生まれも育ちも立派なネザーランドドワーフですぞ」と、そのウサギは言った。「齢は239年前…。おっと、これは秘密だった」

怪しげなウサギは、懇切丁寧なことに名刺を取り出して、「ラックウェラー財団執事課から参りました。ルルゴと申します」と名乗った。

そしてルルゴは次に鼻眼鏡を取り出して、ハンカチできゅっきゅと磨いてから自分の鼻に乗せ、「それで、ご主人様のお名前は?」と聞いてきた。

「あ…アリア・フェレオ」と、私は「仮の名」と、お母さんの名乗っていた姓を伝えた。

「フェレオ。ふむ。間違いない」と、なんとかウェラー財団と書かれた、表紙の文字のかすれている古びた手帳を見ながら、ルルゴは頷いた。「お雇いいただいたのは良いが、最初の仕事がありましてね」

「それは何?」と私が聞くと、ルルゴは「なんと、アリア様のお父様からのご依頼で、あなたを驚かさなければならないのです」

ウサギの執事が派遣された時点で、充分驚いていたけど、たぶん、それは、タンスを開けた途端「わー!」とでも言って驚かせ、という意味だったんだろうと、私は思った。

でも、ルルゴはどうやら生真面目な性格なのと、自分が「普通の感覚の人間なら驚く存在」である自覚が薄いらしく、自分の執事としての能力を最大限に活かして私を驚かせなければならないと思っているようだ。

それから、私は239年前に何かあったウサギと一緒に、二人暮らしをすることになった。