トリルの日記 Ⅰ 4

一人暮らしをして半年も経たない頃、私はしばらく日記がかけないくらい大忙しになっていた。

私が、気まぐれで作った「治癒」の護符を買った人が、長年苦しんでいた神経痛から解放されたと言って、口コミで私のアミュレットの評判を広めてくれたのだ。

人によって、書いてあげる文字は違うけど、テーブルの上には、どっちを向いても治癒の護符が並び、最低でも半月は、朝起きてから眠るまで治癒の護符を書き続けた。

ルルゴは鬼火達を指導しながら、梱包と郵送の仕事をしてくれてた。

だけど、ある日、私の中で爆弾が破裂したみたいに、なんにもやる気が起きなくなった日が来た。

朝、目は覚めたけど、起き上がる気がしない。

ルルゴが朝食の用意が出来たと言って呼びに来たけど、私は生まれて初めて「食べたくない」と言った。

ディオン山の岩屋で、お母さん達と暮らしていたときは、一回だって食事を拒否したことはない。風邪を引いてたって、薄切りの田舎パンをお茶に浸して食べていた。

そんな私が、あんなに良い香りのする朝食を食べない。

私、おかしくなってる。って、その時、分かった。

ルルゴは、女の子の気まぐれだろうって言うくらいに思ったみたいで、「では、『凍結』の戸棚に入れておきますので、好きな時に『放熱』の戸棚で温めてお召し上がり下さい」と言っていた。

鬼火達がルルゴに指揮されながら、片づけの作業をしているのを、私はベッドに横たわったままボーッと見ていた。


何日間も私が、食事を拒否したり、起き上がらなくなったりしたので、ルルゴは困り切ってしまったらしい。

「アリア様、御具合がよろしくないのなら、一度ヒーラーをお呼びいたしましょうか?」

ルルゴに言われて、そう言えばそんな職業の人もいるんだったな、と、お母さんから聞いた話を思い出した。

「そのヒーラーは、ルルゴの知り合い?」と聞いてみた。

「いいえ。ラックウェラー財団の治療師課に登録している、派遣ヒーラーでございます。派遣とは言え、腕は確かな者しかおりませんので、ご安心下さい」

「そんなに行き届いてる団体があるんだね」と、私はやっぱり生まれて初めて皮肉のようなことを言ってしまった。

でも、ルルゴは私情を挟まず、言葉のままに受け取ってくれた。

「その通りでございます。魔術で世に貢献する人々…いえ、種族は問いませんが、世で魔術を使う存在を支え、その発展を手助けするのが、我ら財団の基本精神でございます」

お母さんとお父さんは、どんな方法を使って、そんな財団と「契約」したんだろう。私はそんなことを思いながら、ルルゴが紹介してくれたヒーラーを呼ぶことにした。


ルルゴの仲介で、財団から来たヒーラーは、人の良さそうな丸顔のおばあさんだった。

おばあさんは、家に入ってきてすぐ事情に気づいたらしい。ルルゴに椅子をすすめられ、ベッドに横たわったままの私に語り掛けられる場所に座ったおばあさんは、こう言った。

「ミス・フェレオ。あなたは、色んな人のために一生懸命、力を使ったのね。だから、あなたは、あなたが生きていくのに必要な分の力まで削ってしまっているの。

分かる? 力が回復するって言うのは、自然現象じゃないの。力が回復するための力と言うものも、必要なのよ? 今、あなたに必要なのは、休息。でも、眠ってるだけじゃ休息にならないわ。

食事を摂って水分を摂って、睡眠とる。このループから始めましょう。ミスター・ルルゴは、食事のバランスを考える知識があるわ。

細かい事は、あなたの様子を見ながら、私が決めておくから、まず、あなたは、ゆっくり食べて、ゆっくり眠りなさい」

優しい声でそう言われて、私の中でトゲトゲになりそうだった心が、ブラッシングしてもらったみたいに真ん丸になった。

私は今、疲れているんだ。そう思って、「お願いします」と答えた。

おばあさんのヒーラーは、私の額に触れて着付け程度の霊力を分けてくれると、ルルゴに何か言づて、挨拶をして帰って行った。


ルルゴは、町で評判らしいミックスジュースのお店から、ミネラルのたくさん入った果物のミックスジュースを買って来て、私に飲むように言った。

「ごゆっくりお召し上がり下さい。ただし、飲み終わるまでベッドに戻られてはなりません」と、会ってから初めて、ルルゴは指示めいたことを私に言った。

その時、何かがふっと軽くなった。ルルゴは、ただ私に仕えるだけじゃなくて、私が生きていくために指示をしてくれるんだ、という、不思議な安心感だった。

岩屋に居た時は、間違ったことをしたら注意された。良いことをしたら褒めてもらえた。手を触れたり、頭をなでてもらったり、抱き上げてもらったり。

だけど、ルルゴが居るとは言え、一人になってから、誰も私をほめてくれなくなった。確かに、評判が上がって、仕事が増えて、お金はたくさん入ってくるようになった。

それでも、私は、言葉で「お前は間違ってない」って言ってくれる、誰かの保証がほしかったんだ。

保証はない、けど突き進むしかないって言う状況にいきなり放り出されて、不安で仕方なかったんだ。

また間違えてしまわないように…そんなことを考えて、私は自分がまるで人生を2度歩いてるような気がして、ジュースを飲みながらくすっと笑ってしまった。

その私の笑顔を見て、ルルゴは、私がジュースを気に入ったようだと思ったらしく、とても満足そうに微笑んでいた。


ジュースだけじゃ、お腹が空くようになってきた。体が回復し始めたと言う事だろう。その事をルルゴに告げると、ルルゴは「では、夕飯は何にいたしましょう?」と聞いてきた。

私は、にっこり笑って意地悪を言ってみた。「ルルゴの手料理が食べたい。鬼火に作らせちゃだめよ? あなたが作るの。材料を用意して、お皿を洗って拭くまで」

ルルゴは目をむいて、鼻眼鏡を取り落とした。眼鏡をかけなおしながら、「私のほうが先に驚かされるとは」って呟いていた。

「料理は執事の仕事外ですが?」と、ルルゴが言うので、私は「私はもう決めたの。今日は、ルルゴが作った料理しか食べない」と言い切った。

ルルゴが材料を買って来て、小一時間キッチンで奮闘して作ったのは、チーズリゾットのようなものだった。

「この料理の名前は?」と聞いたら、「クリームとチェダーチーズの海鮮リゾットでございます」と、ルルゴは滑らかに答えた。聞かれることを分かっていたらしい。

私が、スプーンを手に取って、上にかかったチーズから海鮮が飛び出している、ぐちゃぐちゃのリゾットを口に運ぶのを、ルルゴは伏し目がちに横目で見ていた。

口の中に、クリームのコクとチーズの風味と仄かな塩気、海鮮のうまみが広がる。

「すごいじゃない、ルルゴ! とっても美味しい」と私が言うと、ルルゴは「ようやく驚いていただけた」と言って、安心したように胸をなでおろしていた。