ディーノドリン市と比べると、シャーロン市は随分牧歌的な田舎だと言うことが、帰って来た時の私の感想だった。
アパートに帰ると、不思議と部屋が静まっている。
「ルルゴ。鬼火はどうしたの?」と聞くと、「妖精達は回収してあります。アリア様が必要だと言う時だけ、呼び出すことにいたしました」と、ルルゴは言った。
どうやら、ウィンダーグ家で、扉越しにルディさんの話を聞いていたようだ。さすが、下手に耳が長いわけじゃないのね。
「気の利く執事さんで助かるわ」と私は言ってから、「じゃぁ、ルルゴ。今から言う物を買ってきて」と言って、私はトマトシチューを作る材料をルルゴに伝えた。
ルルゴが紙袋いっぱいに材料を買って帰ってきてから、私は、ディオン山の岩屋に居た頃、お父さんから教えてもらった手順を思い出して、トマトシチューを作り始めた。
「ウスターソースは何に使うのですか?」と、ルルゴが興味深げに聞いてくる。
「隠し味よ。ちょっぴり、デミグラスソースみたいな味になって、このシチューをライスにかけるととっても美味しいの」と、私は答えた。
「それでライスを茹でるように言ったのですか」と、ようやく納得いったと言う風に、ぐらぐらと蒸気を吹いている鍋の前で、椅子の上に立ったルルゴは唸った。
「茹でるんじゃなくて、焚くって言うの。細かく火加減を変えなきゃならないから、お鍋注意して観ててね」と、私は指示を出した。
なんとか、ホカホカのライスと、とろりとした真っ赤なトマトシチューが出来上がった。
「これが、アリア様の『おふくろの味』なのですね」と、香りだけ嗅ぎながらルルゴが言った。
「どっちかって言うと、お父さんのほうの得意料理なんだけどね」と、私は訂正しておいた。
ルルゴが人間の食事がとれるなら、私の料理の腕を自慢したいところだったけど、さすがに、三月のたんぽぽの葉が美味しいと力説するウサギに、トマトの味は辛いだろう。
食べてみると、お父さんお手製のトマトシチューとは、ちょっと違ったけど、そこそこ上手く出来ていた。
私は、旅先で買って来た、風景の本に目を通した。山、森、河、湖、木立、公園、広場、色んな写真が載ってたけど、私が今まで一度も見たこともない風景があった。
大きな湖のように見えるけど、湖の向こう端は映ってない。綺麗なベージュの砂のたまった波打ち際に向けて、白い波が立っている。
「なんだろうこれ」と私が呟くと、ルルゴが「いかがしました?」と聞いてきた。
「でっかい湖か、でっかい河だと思うんだけど、対岸が写って無いの」と言って、私はルルゴにも見えるように本のページをルルゴの目の前に持って行った。
「ああ、これは海でございますね」と、ルルゴは言った。「大陸や島等を覆っている、塩辛い水の集りです」
「海? 海って言う湖?」って聞いたら、ルルゴは真面目な顔で、「いいえ。湖よりも規模の大きな、陸より広く世界中を覆っている水の集りでございます」と言った。
私は、世界が陸地より水のほうが多いなんて、その時初めて知った。
お母さんやお父さんは色んなことを教えてくれたけど、「海」って言うものは聞いたことも無かったし、見たことも無かった。
ううん。たぶん、聞いたことはあるのかもしれない。でも、「海」って呼ぶ湖もあるから、その湖のことだと勘違いしてたのかも。
ルルゴは、何か閃いたように、私に「海」のことや、「船」のこと、それから「船乗り」のことを教えてくれた。
なんでも、船乗りと言うは、命の危険がつきものな仕事で、夫々が、願掛けをしたお守りを持ったり、体に、願い事を刻んだタトゥーを彫っていたりするらしい。
ルルゴは、その人達に、アミュレットを売り込んだらどうだろうって言いたいんだろう。全部は言わなかったけど、私はそう解釈して、調べてみることにした。
貴重な羊皮紙に、「探知」の呪文を、力を込めながら長く長く書き記して行った。羊皮紙の縁全部に呪文が書かれると、術は自動的に発動した。
呪文を綴った文字から、インクがどんどん滑るように流れ出して行って、「デュルエーナ」と言うつづりが出てきた。この国の名前だ。そのつづりを中心に、インクの細い線で地図が形作られて行く。
その地図をよく見てみると、この国は、まるで山に囲まれた盆地みたいに、六方角のどこもかしこも、別の国と陸地で接してる。
でも、ひとつ西のほうの国に行くと、さらに西の方にすぐに海があった。
アミュレットを作ろうにも、まず、海って言うものが実際どんなものか、もっと知る必要がある。
今の所、私が知っているのは、海は塩辛い水で、広くて、危険で、船に乗って移動すると言う事だけ。
「ルルゴ。外国旅行の資金はある?」と、聞くと、ルルゴは今まで私がアミュレット作りで稼いだ金額を綴った巻物を取り出して見つめ、「資金は足りるでしょう」と言った。
「ただし、少々の工夫が必要でございます」と、ルルゴは言う。
「工夫?」と聞き返すと、ルルゴは「外出している間、私が身を隠す方法をお考え下さい。決して、お一人で出かけようなどと思わないように」と、念を押した。
長距離列車に乗って、西の国を目指しながら、私は山をくりぬいた長いトンネルの中で、おしゃべり相手のいない旅がこんなに暇なものかと、あくびをかみ殺していた。
ルルゴは、私の作った小型のランプの中にある小さな部屋で、ゆっくりお茶なんて飲んでる。このランプは、私以外の者が外から見ても、唯のランプにしか見えない。
今は明かりを消してある。夕方になると自動点灯するようにしておいた。でも、中にいるルルゴには、灯りがついてなくてもついてても、何の影響もない。
私も、小腹が空いてきたので、旅に出る前に買っておいたお菓子を食べながら、さっそく長旅を退屈していた。
さっさと、この長ーい長ーい壁しか見えないトンネルから、外の景色が広がらないかな。
そんな風に思ってると、国境を超えるあたりで、車掌さんが切符のチェックとパスポートを見せてくれと言ってきた。
私は荷物の中からパスポートを取り出して、切符をチェックしてもらうと、車掌さんは「良い旅を」と言って去って行った。
