いつも、祭の度にビオラを持ってくる、黒髪と黒いドレスの女の人が居たのを覚えてる。
彼女の髪はいつもしっとりと艶を含んでいて、噂では、昼間はカラスに変化して、名のある魔術師と共に暮らしているらしい。
その、新月のような眼は、放心したように透き通っていて、でも、いつもちらっとこちらを見る時があった。
それは、私がその人をじろじろ見てるから、視線が合うのも仕方ないけど、私と視線が合うと、その女の人はほんのわずかに微笑むのだった。
「エドナ。ビオラを聞かせてくれよ」と、誰かがその女性に言った。
そうすると、その女の人は楽器を構えて、低く滑らかな旋律を奏でるのだ。
「エドナは恋をしてるのよ」と、ある魔女のおばさんが、ビオラを弾く女性を見ながら言っていた。「誰が相手なのかは、主人の魔術師にも言わないですって」
「恋って何?」幼かった私は聞いた。
「あなたは、お父さんとお母さんのことは好き?」と、魔女のおばさんが言った。
「大好き」と私は答えた。
「その気持ちを、他の存在に向けるようになるのが、『恋』って言うの」
魔女のおばさんは教えてくれた。
「あなたは人間だけど、相手が人間とは限らないわ。風景に恋をする者も居るし、月や、星、樹木、宝石、歌、絵、何処にでも、恋の相手は転がってる。いつか、その中で、あなただけの特別を見つけなさい」
私はその時の話を聞いて、「恋と言うのは特別なものなのだ」と言う概念を持った。
お父さんやお母さんと同じくらい、大好きになれる特別なもの。
エドナの弾くビオラには、そんな思いがこもっているんだ。
私は、「伝令」の魔術の中に響いてくる、あるハープ弾きのメロディーを聞きながら、そんなことを思い出した。
ようやく海に辿り着いた。ベージュの「砂浜」に、湖畔より強い波が打ち寄せ、砂をさらっていく。
エメラルドグリーンの透き通った水波を打つ様が、とても美しい。そして、海独特の「潮騒」と言う、波の音が響く。
「これが海なのね」と、私はランプの中に隠れているルルゴに言った。
ルルゴは観光案内を見ているらしく、「ふむ。ベルクチュアで最高の眺めを約束されているビーチだそうですから」と、本を読み上げながら言う。
「飲食物の持ち込み禁止、遊泳禁止、漁業関係者の進入禁止、この浜で『ピュアマリン』と呼ばれる宝石が取れるそうですが、その持ち出しも禁止です。許されているのは、海を眺めることだけ」
「それだけ厳重に守られないと、この眺めが保てないって事よね」私はそう言って、素足だった足元に、何か固いものが触れたのが分かった。「なんだろう?」
柔らかい砂の中を探ってみると、海と同じ色の小さな透き通った石が出てきた。
「ルルゴ。ピュアマリンって、これ?」と、ランプに石を近づけて見せると、ルルゴは「そうですね。質感が写真の物と一致します」と答えた。
「確かに、これは持ち帰りたくなるなー」と言ったけど、私は愛着がわかないうちに石を元通り砂の中に埋めた。
次は「船」と「船乗り」を探さなきゃって事で、ピュアマリンの取れる砂浜を後にし、漁村を探しに行った。
観光案内を頼りに漁村に行くと、市場が開かれていた。
山の幸を持って来た客に、漁村の人々が魚介類を売っている。売っていると言っても、物々交換だ。
「あの…私にも、魚を売ってほしいんだけど…」と言って、硬貨を見せると、村人は驚いたようでも無く、「あんた、旅の人か」と言った。
私が頷くと、別の村人が、「生憎、この市は、村の者だけの市でね。他所をあたってくれ」と断ってきた。
それを聞いていた、絹の反物を持っていた女性が、声かけてくれた。「もし、お魚が食べたかったら、良い店があるよ」と言って、街道沿いの料亭を教えてくれた。
料亭の場所はすぐに分かった。私は、店の前に置いてある広告看板を見て、「カニが名物らしいね」と、ルルゴに言った。
「アリア様。池や湖に住んでいるような小さなカニを思い浮かべておりますね?」と、ルルゴが言ってきた。
「だって、カニって言ったら…カニでしょ?」と言って、私は沢蟹を思い浮かべた。
その時はルルゴの様子によく注意を払ってなかったけど、ルルゴはどうやら身を隠しているランプの中で、鼻眼鏡を光らせているようだった。
その眼鏡を通して、ルルゴには私のイメージした「カニ」の形が見えているらしい。
「海で採取されるカニにも、そのように小さなものも居ますが、こう言った料亭で出てくるのは…」
ルルゴがそこまで行ったとき、店の中から誰かが出てきた。
「いらっしゃ~い。お嬢さん、ランチはまだかな?」と、気軽い口調で話しかけてきたのは、よく日に焼けた、オレンジの髪の男の人だった。
いかにも鍛えてそうな筋肉質な腕に、黒い錨の模様のタトゥーと、誰かの名前が彫ってある。
私がその人をじろじろ見てると、「驚かせちゃったかな? 俺は、ここの料亭の女将の次男坊さ。ランチがまだなら、この店の『ズワイガニの釜蒸し』なんかがお勧めだよ」
「それ、おいくらですか?」と聞くと、思ったよりちょっと高かったけど、思い切って食べてみることにした。