Trill's diary Ⅱ 3

浜に着くと、すぐに、浜に打ち上げられている人の姿を見つけた。波打ち際で何度も波に洗われ、再び引きずり込まれそうな様相を見せている。

私は駆け寄ろうとしたけど、「やめろ。波にさらわれるぞ」と言う精霊の叫ぶ声が聞こえ、足を止めた。

「アリア様、失礼いたします」と言って、ルルゴがランプから飛び出してきた。退魔の力を発しているピンバッジが、燃えるような青い炎を灯らせている。

ルルゴは、すぐに金時計の竜頭を数時間分巻き戻し、人間の姿になると、波打ち際に倒れている人に駆け寄り、波がその人をさらうより早く、海の水の届かない場所までその人を抱えて移動した。

私も、すぐその後を追った。

倒れていたのは、やっぱりティニーさんだった。

「大丈夫? しっかりして!」と私が声をかけると、安全に息が出来るようになったティニーさんは、口と喉に詰まっていた海水を吐き出し、咳き込みながら「大丈夫…。それより、アリシアが…」と答えた。

「アリシアさんも船に乗ってたの?」と私が聞くと、ティニーさんは、「いや、彼女はいつも泳いで僕に会いに来る…。さっきも」と答えた。

どういう事なのか分からず、私は人間の姿のルルゴと顔を見合わせた。

「今は、彼を安全な場所へ」とルルゴが言ったので、私は「そうね」と答えて、ティニーさんに肩を貸しながら、3人で料亭まで戻った。


ティニーさんは、海水と砂まみれだったので、料亭に併設されてる自宅のお風呂で湯船につかって、すっかり着替えて、店のほうで待っていた私達の前に姿を現した。

ひどく疲れ切ったような顔をして、目の下にはくまが出来ていた。

「何があったの? 話せるところだけで良いから、答えて」と私は言った。ランプの中に戻ったルルゴも、耳をそばだてているようだ。

ティニーさんは、私以外の誰にも聞かれていないことを確認しながら、ぽつりぽつりと答えた。

「アリシアが…会いに来たんだ。父親に、結婚するように脅されてるって言って…」呟くようにそう言ってから、ティニーさんは辺りを見回し、話を続けた。

「僕が、アリシアの父親を説得するって言ったら、彼女は『あなたには無理よ』って言って、『一緒に逃げましょう』って言ったんだ」

「僕はその言葉を承諾した。でも、運のわることに、海がしけって来た。『父が、私を呼び戻そうとしてる』って、アリシアが言った。僕は、その時、アリシアが人間じゃないことに気づいた」

「海の遠くから、太い声が聞こえてきた。『陸で飼っている人間がいるとわな』って、僕にはそう聞こえた。『そいつが気に入ってるなら、水底で飼えば良い』って声が聞こえて、途端に船が波にのまれた」

私は、アリシアさんが、恐らく変化の能力を持った、年経た海獣の娘だったんだって分かった。

ティニーさんの話は続く。

「船には、僕と僕の父さんが乗ってた。僕は、いつの間にか、君達に助けられてたけど、たぶん、父さんは…」

その言葉の通り、ティニーさんのお父さんは、遺体すら発見されないまま、帰らぬ人になった。


海が静まるのを察してから、私はティニーさんの打ち上げられていた小さな浜辺へ行ってみた。

濡れた長い髪を体に纏わせ、鱗のドレスを着た女性が浜辺に立ちすくんでいた。

「もしかして、アリシアさん?」と、私は聞いた。女性は青白い顔を向けて、「ええ。あなたは?」と問い返してきた。

「私はアリア。アミュレット技師なの。ティニーさんから、事情は聴いたわ。これ、あなた用のアミュレット。もし、ティニーさんと一緒に行くなら、受け取って」

そう言って、私は緑色のガラスと銀細工で出来た貝殻の形のペンダントを差し出した。

「受け取れない」と、アリシアさんは拒んだ。「私と一緒に居たら、きっとティニーは父に殺されてしまう」

「あなたがそんなに弱気でどうするのよ!」

と、私は語気を強めてアリシアさんに言った。

「あなたには隠しても無駄だと思うから言うけど、私は魔女よ。子供の頃は、魔物も人間も妖精も精霊も、全部同じ世界で生きてる場所に住んでた。あなたも分かってるんでしょ?

昨日は、風の精霊達がティニーさんを助けてくれた。海に居る父親が敵だって言っても、あなた達の味方をしてくれる存在も居るのよ? 私だって、あなた達のこと、否定したりしない。

このアミュレットには、『守護』の魔術もかけてある。海から完全に離れることは出来なくても、あなたにほんの少し自由をくれるはずよ。ティニーさんのアミュレットにも、同じ力を込めてある。

一緒に逃げようって言い出したのは、あなたなんだから、もっと勇気を持って。分からず屋の頭の固い父親なんて、気にすることないわ。娘の心が分かんない奴なんて、干上がって塩まみれに成っちゃえばいいのよ!」

私がそう言い切ると、アリシアさんは、悲しげだった顔を少し笑ませた。

「そうね。私が言い出したんだもの…。そして、ティニーは『分かった』って言ってくれた」

そう言ってアリシアさんは片手を私のほうに伸ばし、アミュレットを受け取った。「暖かい力…ティニーの腕の中にいるみたい」そんな風に呟いてた。


その後、ティニーさんにアリシアさんの気持ちを伝えて、両者の気持ちがまとまったところで、私とルルゴは二人の駆け落ちが上手く行くように作戦を練った。

一日眠りこんで気持ちと体の回復したティニーさんは、陸路を逃げるための準備を始めた。私は、それをアリシアさんに伝えるために、あの小さな浜に行った。

砂浜に、魔法陣と「封じ」の呪文を描きこんだレジャーシートを広げると、そこにアリシアさんと2人で座って、こう言ったの。

「ティニーさんは、明日あなたを迎えに来るわ。それまで、あなたは父親に捕まらずに、何処かに身を潜めてて。海に居るのが危険だって思ったら、アミュレットを持ったまま陸に上がっても大丈夫。

アミュレットが、太陽の熱で熱くならない限りは、海の中に居るのと同じ状態を保てるわ」

この作戦は、功を奏して、二人はめでたく列車で山奥に避難し、アリシアさん達は今、森の中の湖の近くで幸せに暮らしてる。

船とご主人と次男坊を失った料亭は、規模を小さくして、長男さんと女将さんで、どうにかうまく運営しているみたいだ。

陸の上は八方丸く収まったけど、分からず屋の海獣親父は、海をしけさせる機会を増やしたらしい。