Trill's diary Ⅱ 5

朝の光に気づいて起きると、ずいぶんお腹が減っていた。前日、何も食べずに眠っちゃったせいだ。

非常食とも言えるお菓子を食べてると、ルルゴがランプから飛び出してきて、自分の金時計の竜頭を巻いた。そして人間に化けると、「売店で何か買って来ます」と言って、部屋の外に出ようとした。

「待って。ルルゴ。あなたの気配も覚えられてるかもしれない」と私がとっさに言うと、ルルゴは執事服の襟に着けてるピンバッジを見せて、

「ご安心を。これが付いていますので」と答えた。

私が魔力を込めたピンバッジは、魔力を持ったものにしか分からない緑色の光を灯している。「守護」の力が働いているんだ。

私の魔力の質を覚えられていないか心配だったけど、ルルゴはしっかり頷いて、「すぐに戻ります」と言うと、部屋を出て行った。

「あのウサギ、あの時の人間だったんだね」

エッジがそう言ったので、私はギクッとした。

「あの時って?」と私が聞くと、エッジはスラスラ超えた。

「あの嵐の日に、風の精霊達が、『二人の人間がアリシア様の恋人を連れて行った』って言ってたんだ。でも、あなたは一人だし、連れてるのはウサギだから、どういう事だろうって思ってたんだよ」

冷汗が出るって、こう言うことを言うんだなって思った。もし、あの嵐の後、私が人間の姿のルルゴと一緒に移動していたら、一発で「指名手配犯」だってバレる所だった。

今の所、外は静かだ。雨を降らせそうな雲も、波を荒れさせそうな風もない。でも、逆に静かなのが不気味だった。

「様子が変なの、気づいてる?」とエッジが言った。窓の外を見ていた私は「ええ」と答えて頷いた。

昨日の風の精霊の様子からして、私が姿を消すためのアミュレットを使った後で、私を見失っている。

人間の感覚で言えば、さっきまで目の前に確かに居た生物が、動きもしないのに一瞬で消えたようなものだ。

ルルゴに「伝心」の魔術を使おうか迷ったが、私が今、アミュレットの効果が届く場所以外に魔力を送れば、不自然なのも確実だ。

「エッジ、ルルゴに伝えて…」と言うとした途端、ドアがノックされた。私は確かめるのも忘れて、ルルゴだと思い込んでドアに近づいた。

「待って! そいつは違う!」と、エッジが叫んだ。

その声を聞いて、私は反射的にドアから身をそらした。

次の瞬間、一本の巨大なタコの脚が、護符を貼ってあったドアを突き破って部屋の中に伸びてきた。

私をつかみ損ねて、空中をぬらぬら言っているタコの脚に触れないように壁際を通り、ベッドの上に置いておいた鞄とアミュレット、テーブルの上のランプを手に取ると、私は予備の「守護」の護符を取り出して、窓から飛び降りた。

エッジが、「死んじゃうよ!」って言ったけど、私は「大丈夫!」と言い返し、地面に着地する直前で集中的に護符に込められた「守護」の力を放出した。

見えないパラシュートが空気をつかんだかのように、私はふわりと地面に着地した。すぐに部屋からエッジも逃げ出してきて、私の持っていたランプの中に飛び込んだ。

私は、もう隠れている場合じゃなかったから、ルルゴが持っているアミュレットのある場所に、「伝心」の魔術で、「宿を出て! 外を逃げるよ!」と合図した。

ルルゴは、察しも良く、すぐに私に異変があったことに気づいたらしい。牛乳とパンの入った紙袋を持って、人間の姿のルルゴが宿のホールから飛び出してきた。

フロントの係員さんが、「お客様!」って叫んでたけど、その声はすぐに悲鳴に変わった。

私とルルゴが走りながら、ちらっと後ろを振り返ると、頭だけがタコになった客室清掃係の服装の人間らしきものが、私達の後を追って来るところだった。

ルルゴは人間の姿でも足が速いから、片手に紙袋を持ち、私の手を引いて、すごい勢いで町中を疾走した。

私も、肺が破裂して、心臓がつぶれて、脚が千切れ飛ぶんじゃないかってくらい走って、エッジが「もう大丈夫」と言うまで、一瞬も立ち止まらなかった。

「なんだったんだろう。あの化物…」と、私は息を切らしながら言った。

「昨日はあんな奴いなかった」エッジがランプの中から言う。「たぶん、今日、人間に憑りついてあの宿にもぐりこんだんだ」

「アリア様。これを」と言って、息を切らしたままの私に、ルルゴが牛乳を差し出してくれた。

私は、喉の乾きと飢えを癒すため、瓶入りの牛乳を一気に飲み干した。

その様子を見守ってくれていたエッジが、「此処も、安全とは言い切れない。すぐにもっと陸地のほうに移動しよう」と言った。


ルルゴの買って来てくれたパンを食べ終わると、パンを包んでいた紙袋に「擬態」の呪文を書いて、空になった牛乳瓶に詰め、牛乳瓶に「投影」の術の呪文を書いて、公園の植え込みの中にそっとその瓶を隠した。

あの牛乳瓶達が、私の気配を放っている間は、少しは時間稼ぎになるはずだ。

ウサギに戻ったルルゴはランプの中に身を隠し、私達は市街地のほうに進む「バス」に乗って、敵の目をくらませるために、一旦海沿いを離れた。


「バス」が町の中心部で停まった。この町には結構な数の人がいる。この中でなら、そう簡単に私達を「探知」することは出来ないだろう。

エッジが、ランプの中から言う。「この町の、シャラン川って言う小川のある通りを探して。その小川に、私の仲間がいる」

私は、町の人達に道を聞きながら、シャラン川のある通りに着いた。

まだ昼間だったけど、橋から小川の中を覗くと、小さな鬼火達が水の中に隠れていた。

私が、懐かしげに鬼火を見ていると、橋の手すりにかけていた私の手を、冷たい誰かの手が握った。水の精霊だ、と言う事はすぐ察した。

引きずり込まれる事は分かったけど、不思議と恐怖心は無かった。一瞬後には、もう私達は水の「内側」の世界に引き込まれていた。