水の精霊と、エッジの仲間の鬼火達が作った、「水の内側」の結界の中で、私とルルゴは精霊達から現状を聞いた。
「もう、あなたの話は私達も聞いてる」
美しい女性の姿を模った水の塊のような姿の精霊が教えてくれた。
「この地方の海を取り仕切ってる領主も、『娘をさらわれた父親』のほうの味方についてる。今、海に近づくのは自殺行為だ」
「前に居た、ここより海に近い町で、タコのような化物に襲われたんだけど…あれはなんなの?」と私が状況を説明すると、水の精霊と鬼火達は、ひどくショックを受けたようだ。
「なんてことを…。陸の者に手を出すとは」と、ひとつの鬼火がしわがれた老女の声で言った。
「なんだかおかしいよ。娘をさらわれたって言っても、手段を択ばせないなんて、海獣としても、領主としてもおかしい」と、女の子の声をした鬼火が言う。
「結局、食い意地が勝ってるって事だろ」と、少年の声の鬼火が言う。「誰がアリシア様達に手を貸したかなんて、奴等には、実のところはどうでも良いんだ」
「食欲って事は、海の魔物に憑りつかれた人間は、食べられちゃうの?」と、私は聞いた。
「中身を食って、皮を着るんだ」と、水の精霊が言った。「魔術以外で、人間を装う古典的な方法さ。私達が、絶対の禁忌としている術だよ」
「そんな手段を使うのは、海のもの達の面汚しだ」と、大人の女性の声の鬼火が言う。「被害が広がる前に、止めさせなきゃならない」
「その手はずについては、この魔女のお嬢さんとも相談しなくちゃな」と、大人の男性の声の鬼火が言う。
ランプの中から出て来たエッジとルルゴも交えて、私達は海獣親父達の暴走を止める方法を計画した。
私は、水の「内側」の中で、いくつか護符を作り、それを水の鬼火達に渡した。そして、水の精霊は私の姿そっくりに形を変え、透き通っていた身に色を反射させた。
ルルゴが、ジッポーライターの火花を数回点滅させ、自分の使役する炎由来の鬼火を呼び出した。
その鬼火達は、護符が無くても直接、海獣達にダメージ与えることが出来る。
「魔女さん。あなたは、この結界の中から、私達に指示を出して。海獣達と直接戦うのは、私達の仕事だ」と、水の精霊が言った。
「分かった。状況は、常に見ておくから」と言って、私は護符の紙に、「察知」の魔力を込めたものを広げた。
建物や地形の輪郭を透き通らせる、立体的な外の様子が、護符の上に浮き上がって見える。
「エッジ、魔女さんの護衛は任せたよ。もし、ここが知られたら、いつもの場所へ」水由来の鬼火のひとつがそう言った。
「分かってる。みんな、気を付けて」エッジはそう言って、水の精霊と鬼火達を送り出した。
海の方向から次々に現れる、「人を食う」ことを目的とした海獣達を殲滅して行って、水の精霊と鬼火達は海岸までたどり着いた。
道中で、何ヶ所か、別の鬼火達や、アリシアさんと懇意にしてた精霊達と出会うことがあった。
最初は「誘拐犯の味方をするとは」ってなじられたけど、アリシアさんはさらわれたのではなく、自分の意思で恋人と逃げたのだと説明して理解を得た。
理解を得られなかった精霊達とは、争いになったけど、辛くも勝利した。
海では、この付近の海の領主である、巨大な鯨が沖のほうで潮を吹いていた。私の姿をした水の精霊は正体を見破られ、何故この海を治める者の意思に背くのかと問われた。
様々な精霊や鬼火達が、口々に、アリシアさんは自分の意思で海を離れたのだと言う事と、領主であるものが何故、下っ端の海獣達の暴走を止められないのかと疑問を提示した。
「陸の者も、我々の幼子達を喰らうではないか。それと同じことだ」と、巨大な鯨は答えた。
「結局は食欲か。海獣の誇りを失ったのか!」と、少年の声をした鬼火が叫んだ。その途端、大きな手のような波がその鬼火をつかみ、握り殺した。
「誇りを失わぬからこそ、食らうのだ」と、海の領主は言った。「我々は海底に潜むだけではない事を知らしめるためにな」
「その愚行をアリシア様の名の下に行なうのか?」と、老女の声の鬼火が言う。「最早、お前を領主とは思わぬ。陸に坐して肉になるが良い!」
その言葉を合図のように、海と陸の間で攻防が始まった。海の中から、次々に巨大な海獣達が姿を現す。
水の結界の中に残っていた私とルルゴは、全体を見渡せる状況で、細かく精霊や鬼火に指示を出した。
ルルゴがチェスの知識を持っていたのが、すごく役に立った。でも、鬼火達や精霊は駒じゃないし、乱闘に盤面のルールはない。
私は、結界の中から水の精霊に護符を強化させる力を送り、海の沖でのうのうと戦況を見ている鯨に「熱波」の魔力を送った。
海の領主は、水の中にもぐった。急激に皮膚が乾いたのだろう。だが、水の中に入ったくらいで力が途切れるほど、私の魔力も弱くない。
「一時、撤退!」と、私が指示を飛ばすと、精霊と鬼火達は浜を退いた。その途端、熱に追われた巨大な鯨が、浜辺に追い立てられ、打ち上げられた。
炎由来の鬼火達と、護符を使う水の鬼火達は、海中から姿を現した鯨に、熱波の魔力を照射し続けた。皮膚を焼かれ、鯨は苦痛にもがいていた。
思えば、残酷な殺し方だったかもしれない。やがて鯨は動かなくなり、権限を失った海獣や、敵方の精霊達は、海の彼方に退却した。
後日、巨大な鯨が浜に打ちあがり、それを救助する活動が行われていると言う新聞記事を読んだ。
自分達が食い物にしようとしていた人間に助けられるなんて、どんな気分なんだろう。でも、あの鯨が助かる余地はない事は、私が知っている。
一見無傷に見えても、皮膚の下は重度の火傷を負っているのだから。
「これで良かったのかな」と、私は宿で新聞を読みながら、ルルゴに聞いた。
「此度の争いは、善悪の問題ではありません。生き死にの問題なのです」ルルゴはそう答えた。「私は、アリア様に生き延びてほしかったのです。そしてその願いは叶った」
「私が死んで、あの鯨が生き延びてたら?」と、私は問い重ねた。
「その時は、私は海中深くへ参じることになっても、あの鯨を追い詰め、命を奪ったでしょう」とルルゴは言う。「命の取り合いと言うものは、そう言うものです」
「あんまり深く考えるなって」エッジが励ましてくれた。「あんな暴君、居ないほうが海のためだ」
「うん。私には、私の仕事があるものね」と言って、私は新聞をゴミ箱に入れると、晴れ渡った瑠璃色の海を見て、「さぁ、海を調べに行こうか」と、御供の2人に声をかけた。