Trill's diary Ⅲ 1

岩屋を出て、顔を洗おうと、湧き水の出ている岩場に行った時だ。祭の余韻が抜けない鬼火達が、まだキュラキュラ笑いながら水辺をうろうろしていた。

反魔術のペンダントはつけて無かったけど、不思議と鬼火の笑い声には影響されなかった。

寝起きで気分が定まって無いからかなーって思ってたんだけど、何かが私の代わりに鬼火の魔力に呼応している気配がした。

誰かの声がした。私に向けてではなく、鬼火達に向けて。「おい。もう夜じゃないんだから、いい加減、静かにするんだ」と、聞き覚えのある声が言う。

声の主は、草の葉を織った衣服を身に着けた、痩せっぽっちの日に焼けた男の子だった。

外見は12歳か13歳くらい。珍しい紫色の目をしていて、荒縄で縛った長い銀髪は、膝の後ろまで届きそうだ。

「テイル。テイルでしょ?」と、私はその少年に声をかけた。少年は、不思議そうに私を眺めてから、「誰だ?」って聞いてきた。

「私…その…」と言って、私はとっさに心の声に切り替えて、「トリルよ。久しぶり」って伝えた。

「トリル…? いつ帰って来たんだ?!」と、テイルも心の声で聴いてきた。

「まだ、ここに来てからは7日も経たないわ。夏至の祭に参加しに来たの」と私は答えた。

「だいぶ変わったな。2、3年くらいしか経ってないのに」とテイルは言う。

私も、この言葉には説明し様が無かった。確かに、15歳で山を離れた私は、あれからだいぶ背が伸びて、胸が出っ張ってきて、お尻も大きくなって、だいぶ「大人」らしい体つきになって居たからだ。

顔つきはあまり変わりないと思うのだが、自分の顔って言うものは、毎日見ている分、変化に気づきにくい。

テイルは、視力があまり良くないようで、かなり近くに寄ってきて、私の目の色と髪の色を確認し、「どうやら、本物みたいだな」って言ってた。


テイルは、鬼火の言葉と、私から習った古代語と現代語を使って、鬼火や精霊と、まだ修行の浅い魔術師達の通訳をしながら生活していた。

その他に、山の獣や魔獣を狩ろうとする侵入者から獣達を守ったり、反対に友好的な者の道案内をしたりする仕事をしているらしい。山の管理人ってことかしら。

視力はどうしたのか聞いてみたら、侵入者にナイフで切り付けられたとき、寸でかわしたけど、刃先が少し目の表面をかすったんだって。それから、見えにくいのだそうだ。

私は、昨日の祭で月見ランタンと交換した、どんな傷でも治せる塗り薬を思い出した。

「ちょっと待ってて」と言って、岩屋に戻って荷物の中から塗り薬を取り出すと、また水辺に戻ろうとした。

「何をそんなに慌ててるの?」と、お母さんに聞かれた。

「人助け」と答えて、私は笑ってごまかすと、岩屋を後にした。

水辺で待っていてくれたテイルに、「万能薬」と言って、薬を見せた。テイルは、視力が弱い代わりに、匂いと触れてみた感じで危険なものではないと確認したようだ。

「もし、目に沁みたり、熱を持ったりするようなら、すぐ洗い流して」と言ってから、私はテイルの下瞼をひっくり返して薬を塗り、「瞬きして」と指示した。

悪い刺激はそんなになかったらしい。テイルが数回瞬きをすると、それまで少しピントが合わない感じだった瞳が、正しい焦点を得た。

「見える…」と、テイルは言った。そして、隣に座ってた私を見て、驚いたように「なんでそんなに近くに居るんだ?」って聞いてきた。

「薬を塗ってあげたからでしょ」と私は言い返して、50cmほどテイルから距離を取った。


目が見えるようになってから、テイルは急に私に対してよそよそしくなった。それもそうだろう。15歳の「トリルちゃん」は、すっかり18歳の「アリアさん」になっちゃってるんだもん。

5つ年が違うはずだから、テイルはやっぱり私の思った通り、12歳か13歳くらい。

子供の頃の思い出しかない人物が、いきなり大人になって、それもしばらく忘れていた鮮明な世界に登場したら、それこそ魔法にでもかかったかと思うんだろうな。

と、私はその時、思ったんだけど、後で驚きの事実が判明した。

テイルとぎこちないおしゃべりを終えて岩屋に帰ってから、お父さんにテイルのことを話したんだ。

そしたら、お父さんは「ああ、テイルか。あいつ、お前に惚れてるから」ってあっさり答えるんだもん。

驚いて目を丸くしてたら、お父さんが言うに、私が山を離れてから、テイルは度々この岩屋を訪れて、「トリルから連絡は無いか」とか、「トリルはいつ帰ってくる?」とか聞いてたんだって。

お父さんも、最初は授業の相手が居なくなってつまんないのかと思っていたらしいが、お父さんが話し相手になって居たら、どうやらテイルは、

「トリルのことが頭から離れない」とか、「何処かでトリルが野垂れ死んでたらどうしよう」とか、「俺が大人になるまで、トリルは一人で待っててくれるだろうか」とか、

よくあるコイバナの一節のようなことを話していたらしい。

「今の所、テイルも子供だから安心だが、あと3年もすれば、力じゃ勝ち目無くなるから、注意しろよ?」と、お父さんはいつものように軽い調子で訳の分からないことを言っていた。

16歳にもなったら、いくら痩せっぽっちって言っても、テイルもそれなりに腕力は強くなるだろう。

「私とテイルがケンカすることなんて無いよ」

って答えたら、「そう言う事じゃなくてな…」とお父さんは解説を続けようとしたけど、お母さんが分厚い魔導書でお父さんの頭を叩いたので、何故かお父さんは言葉を切った。


私は、眠る前に、荷物の中から、昔テイルから受け取った、鬼火の魔力が宿った水晶を取り出してみた。冷たいはずの石が、ほんのりと魔力の熱を発している。

朝の鬼火の笑い声から、私を守ってくれたのはこれだったんだ、と気づいた。たぶんこの水晶を私にくれてから、テイルも相当苦労したんだろうな。

「もう夜じゃないんだから、いい加減静かにするんだ、か」。はしゃいでる鬼火の魔力に振り回されないで、平然と言い返していたテイルを思い出して、私はフフッと笑っちゃった。

私の傍らでは、ルルゴがエドナ宛の、長い長いファンレターを書き綴っていた。