Trill's diary Ⅲ 2

岩屋の中で、お父さんが、コレクションのアンティークの中から、調弦の狂ったバイオリンを持ってきて、ぎーこーぎーこーとノコギリを引くような音を奏でていた。

お母さんの織る機の音と、リズムを合わせているらしい。

聴衆は、私と、ルルゴと、エッジ。

ぎーこーぎーこー、ぱたんぱたん、ぎーぎーこーこー、ぱたんぱたん、ぎっぎーぎっーこー、ぱたんぱたん。

なんだか笑い出しちゃいそうなリズム感だったけど、私達が笑うのを我慢してたら、お母さんが細い声で歌詞の無い歌を歌い始めた。

途端に、お父さんがバイオリンの「時間」を少しずつ吸い取り始めた。

バイオリンの音が段々正確になって行って、お母さんの細い歌声と、機の音が合わさって、不思議な旋律が奏でられてゆく。

反物が一反織り上がる頃に、バイオリンはすっかり磨かれた音を発して、一瞬跳ねまわるような陽気な音を奏でてから、フィナーレとなった。

3人の聴衆から拍手が起こり、私は、「これ、練習してたわけじゃないよね?」って聞いちゃった。

「練習はしてなくても、習慣みたいなもんだ」とお父さんは言って、気まぐれなメロディーをキュルルンっと鳴らしてみせる。

「毎日、機を織る度にノコギリの音を聞かされてたら、旋律もつけたくなるわ」と、お母さんは出来上がった反物を片づけながら言う。

「さすが、言ってくれるね、うちのママさんは」と、お父さんは私に言った。「これ、300年前からある上物なんだぜ?」と、バイオリンの弦を指先でポロロンっと鳴らす。

バイオリンへの評価が、ワインの評価と一緒と言うのが、私のお父さんらしいかな。


明日にはシャーロン市に帰るって言う前の晩、お父さんが一人で夜の散歩に行ってる間、私とお母さんは久しぶりに二人っきりで話をした。

私が、暖炉の炎に映る外の様子を見ながら、眠る前のハーブティーを飲んでると、お母さんが隣に座って、話し始めたの。

「アリア。もう気づいてると思うけど」と、お母さんは言い出した。「いつか言おうと思ってたの。あなたは、私達と血のつながった親子じゃないって」

「うん。知ってた」私は出来るだけ普通に答えた。「妖精の王様がくれたんだって言っても、ちゃんと納得できるよ?」

「あなたも、強い力を持っているわね。子供達はみんなそう」

お母さんは何かを懐かしむように言う。

「ある晩、いつもの夜の散歩からひょっこり戻って来たリッドが、『俺達の子供だ。今日から世話してやってくれ』って言って、赤ん坊のあなたを連れてきたの」

「うん。それから?」って、私は聞いた。ルルゴとエッジも、離れた場所で耳をそばだててる。

「詳しい事情は私も知らない。でも、私が『何処から拾って来たの?』って聞いたら、『俺の親戚に頼まれてね』ってリッドは言ってたわ」

私はそれを聞いて、わけがわからなくなった。妖精の王様がくれたって言われたほうが、すんなり「ああ、そうなんだねー」って言えたけど。

「お父さんの親戚って…。えーと、吸血鬼の?」って私が混乱しながら聞くと、お母さんは「そうみたい。あの人自体は吸血鬼じゃないけど、親族はみんな吸血鬼だそうだから」と言った。

覚悟をしていた答と、だいぶ違って、私はしばらく考え込んだ。

「そうなると、私は何処かの吸血鬼の食べ残しか何かだったの?」って聞くと、お母さんは首を横に振った。

「詳しくは知らない。でも、私にあなたを預けてから、リッドがこの岩屋に長居するようになったのは、あなたも知ってる通り」

その言葉から、私が来る以前は、お父さんとお母さんは、割と離れがちだったんだってことを私は察した。

お母さんは続けて言う。

「何処かの国の言葉で、『子は鎹』って言うんですって。子供は、離れてしまいそうなものをつなぎとめる役割をしてくれるって意味みたい」

12歳くらいにしか見えないお母さんは、そう言って、可愛らしく微笑んだ。

「私は、あなたが来てくれてから、とっても幸せな時間を過ごしたわ。もう、いつ死んでも良いくらいの」

「ダメダメ」と、私は慌ててお母さんの言葉を遮った。「まだ、これからだって、私はずーっとお世話にならなきゃならないんだから、ずっと元気で居てよ?」

「冗談よ」お母さんは微笑みながら言った。「さぁ、そろそろ眠りなさい。明日は、夕方には起きなきゃならないんだから」

「はーい」って答えて、空っぽになったカップをテーブルの上に置いてから、私は床に敷いた布団の中にもぐりこんだ。


私はあんまり夢は見ないほうなんだけど、その日は眠りが浅かったみたいで、変な夢を見た。

全然知らない二人の夫婦が、悲しそうな顔でこっちを見てる。「可哀想な子。可愛そうな子」と、私に向かって言う。

その夫婦は、「可哀想な子」と繰り返しながら、私に近寄って来ようとした。私は怖くなって、「来ないで!」って叫んで、こちらに伸ばされた手を振り払った。

二人の影がぐにゃりと歪み、この夫婦は死霊なんだって気づいた。

私は、死霊に対抗するための魔術を思いめぐらせた。

その時、目の前の影が、知らない老人の姿に変わった。「おお。ステファ…」

老人がそこまで言ったのは覚えてる。

「トリル!」って、お父さんの声がして、私は目を開けた。岩屋の天井と、私の顔を覗き込んでるお父さんの顔が見えた。一気に冷汗が出てくる。

「いつまで眠ってんだ。そろそろ準備しろよ?」って言って、お父さんは日が落ちたのを確かめながら、コートに袖を通してた。

うーん。怖い夢が途中で終わったのは良いけど、いつまでも魔女を本名で呼ぶの止めてくれないかな。