Trill's diary Ⅲ 3

山を下りる途中で、誰かが追ってくるのが分かった。悪意のあるものではない。山の住人の気配だと言うのはすぐに分かった。

私が足を止めて振り返ると、「どうした?」ってお父さんが聞いた。

「誰かが来る」と私が言うと、「ああ、テイルだな」ってお父さんは分かってたみたいに言った。

「トリル」って、テイルの声がした。魔女を本名で呼ばないでほしいって言っておいたのに。この子も聞く耳の無い子だなぁ。

テイルは、密林の間から姿を現すと、自分で石を砕いて作ったらしい、一振りの鋭い黒曜石のナイフを取り出して、「お守りだ」って言って、私の手に押し付けた。

「ありがと。だけど、私、なんにもお返しが…」って言いかけると、テイルは自分の目を指さして、「治してくれただろ?」って言った。

厳密に言うと私が治したんじゃないけど、そのお礼って事かと思って、「そっか。じゃぁ、もらっておくね」って、ナイフを受け取った。

テイルは、「5年だ」って言った。「あと5年したら、俺も大人になる。俺の父さん達がそう言ってた。それまで待っててくれ。必ず、トリルを迎えに行く」

私は、思わず赤面した。恥ずかしいとか、嬉しいとかじゃなくて、テイルが私のお父さんの前で、ほとんど「結婚してくれ」と言ってるのと同じことを言ったからだ。

お父さんは、思った通り、むすっとした顔をして、テイルに説教をし始めた。「テイル。確かにお前達は昔から仲が良かったが、お前は、まだうちの娘を安心して任せられるほど、男じゃない」

「だから、5年時間をくれって言ってる」、とテイルは言い返す。

「そうか。じゃぁ、その5年間を、みっちり鍛えてやろうか?」と、お父さんは言って、テイルは「どんな鍛錬でも受けて見せる」って言ったけど、お父さんが誰かを鍛えるって…どうなんだろう?

お父さんは、どう多く見積もったって13歳くらいにしか見えない。テイルは、闇の者達とも親睦が深いし、外見年齢がそのまま中身の年齢って訳じゃないことも分かってると思うけど。

5年後に、テイルが、私のお父さんの真似して、放浪癖や悪ふざけを覚えてないと良いけどなぁ。


シャーロン市に戻った私は、仕事を続けながら、ルディさんの言っていたことを思い出していた。「趣味を持つ、鬼火に任せてることを自分でする、本を読む…仕事以外の」

趣味って言ったら、カリグラフィーと日記を書くこと? 鬼火に任せてることは、今の所、掃除と洗濯だけ。料理はほとんど自分でするようになった。本は、読んでも結局仕事のことを考えちゃう。

私って、本当に文字を書く以外取り柄が無いんだなぁって思って、誰よりも自分の凡庸さに呆れかえってしまった。

テイルは、こんな私のどこを気に入ったって言うんだろう。唯単に、彼があの山から出たことが無くて、他に「年の近い人間の女の子」の存在を知らないって言うだけじゃないんだろうか。

私は、とりあえず一緒に住んでる二人に聞いた。「エッジ。ルルゴ。私って、美人?」

エッジは「は?」って言ってたし、ルルゴは執事然として、「私がお仕えし始めた頃より、格段にその美しさは磨かれております」と、「ちゃんと」褒めてくれた。

鬼火は人間の醜美が判別できる種族だけど、まだエッジは、子供をさらいたくなるほど人間に興味を示したことはないようで、「私にはよく分かんないや」だって。

年上として思う事は、テイルが私を気に入ってるのは、まだ少年として純真だからであって、いつか私より年の近い可愛い女の子を見つけて…とか、結婚を回避する方向で考えてみたけど、虚しくなるだけだった。

テイルが嫌いなわけじゃない。だけど、これが「恋」なのかと言ったら、エドナに申し訳ないような気もする。

音色の響きに伝わるほどの、「手も繋げない大恋愛」を目の当たりにした後では、なんだか自分のことはかすんじゃう。

少なくとも、私が小さな頃からエドナは私のお父さんに恋をしていた。それは事実だろう。そうなると、軽く15年は片思いのまま、エドナは今、ウサギのルルゴに恋をされている。

「難しいなぁ…」と呟くと、ルルゴが、「分からないつづりでもございましたか?」と聞いてきた。

執事にまで、私は「文字のことしか考えて無い人」だと思われてるんだな。それはあながち間違いじゃないけど、やっぱり私って凡庸なんだろうな。


ナイト・ウィンダーグ氏から、手紙が来た。久しぶりの仕事の依頼以外の手紙だったので、嬉しくなって鼻歌を歌いながら封を開け、便箋に目を通した。

「今年の春で、我家の息子が、よくやく家督を継いでくれます。その際に家族が集まるのですが、良ければ、一緒にお茶などいかがですか?」

私は、ついにウィンダーグ氏の心をつかんだ奥様に会えるんだ!と思って、ワクワクしながら手紙を読み進めた。

同時に、お父さんに私を預けた親類のことも聞けるかもしれないと言う、余計な打算も思いついた。

ウィンダーグ氏の提案では、日にちは、春を過ぎるなら私の都合の良い日で良いが、時間帯は夕方を過ぎてから明け方まで、と言うものだった。

以前お会いした時で、事情は分かっているので、私は夜のお茶会への招待を快く引き受けることにした。

だけど、一応夜会と言うことになるので、出来れば正装してきてくれると嬉しいと綴られていた。服が用意できなければ、こちらでドレスを用意すると書かれている。

「ドレス!」と言って、私はわたわたしてしまった。そこのところは、スマートにお断りしよう。魔女の正装と言えば、香水の代わりにハーブの香りを付けた、綺麗なローブ。これっきゃない。

私は、お母さんに手紙を書いた。「ウィンダーグ氏の所にお茶会に招かれたんだけど、正装しなきゃならないから、ローブ用の布を送って」と。


数日後、お母さんの所から、「転移」の魔術で、つやつやとした手触りの良い、上等な衣装布が届いた。ハイドランジアの色をした、綺麗な布。

ついでに、お母さんは気を利かせてポケットに忍ばせる型のポプリを作って送ってくれた。

私は、あらかじめ作っておいたデザイン案と関連付けたスペルを、買っておいた裁ちばさみに描きこみ、魔力を込めた。

鋏が、予定の寸法と形状通りに布を断裁していく。続いて、現代の魔女への強い味方、「電動ミシン」と言うものにスペルを書いて魔力を込めた。

すると、布は自らミシンの縫い目の中に吸い込まれて行って、私は魔力を維持したまま、待っているだけで洋裁が済んだ。

ドレスに見劣りがしないように、少しドレープを多く寄せた、私が見るには上出来のローブが出来上がった。

夜会は半月後だ。ポプリの香りが飛ばないうちに、着ていくローブのポケットに入れておこう。