一曲だけ弾けるようになった曲があるって言って、テイルがバイオリンを聞かせてくれた。お父さんも時々弾いてた曲。確か、タイトルは「月光」。
耳で聞いた音を再現したと言った風な、お父さんの弾き方と同じクセがある「月光」だったけど、すごく綺麗な音だった。
テイルが弾き終わった時、私とお母さんとルルゴとエッジは拍手をしたけど、お父さんだけは「30点だな」と言っていた。
たぶん、お父さんが聴者だったら、一生百点はもらえないだろうな。
だって、お父さんったら、自分のクセと同じクセを出してるところを、「そこの響きがどーのこーの」って文句つけるんだもん。
「お父さんだって同じ弾き方してるよ?」って私が言ったら、未だに13歳くらいにしか見えない赤毛の悪親父も、さすがに黙った。
テイルと少し話したかったけど、「移動も大変だったろ。俺はもう帰るから、今日はゆっくり眠れ」って、まるで年上みたいなことを言って、片手をあげて帰って行った。
お母さんが言うに、テイルは昼間の仕事だってあるのに、毎日24時近くまで岩屋でレッスンを受けて、それから自分のねぐらに帰ってるんだって。
「お父さん。鍛えるって言うなら、もう少し実用的な事とかにしたら?」って聞いてみたら、悪親父は「教養の無い男はすぐに暴力に走る」って言う持論を提示していた。
お父さんなりに考えて、確かに鬼火に拾われてから山野で生きてきて、ちょっとは粗野なテイルに「教養」を付けようとしてるんだろうけど。
テイルだって、私から言葉を習ったり、私に「心の声」を操る方法を教えてくれたりして、決して「全く教養が無い」ってわけじゃない。
だけど、元々は何処かのお屋敷のお坊ちゃんだったお父さんとしては、覚えさせたい「教養」はいっぱいあるんだろう。
二人きりで岩屋に居ても喧嘩に成らないくらい仲は良いんだと思う。
ルルゴが、やけに落ち着きがない。そりゃそうだ。明後日には、一年間、思い続けてファンレターをしたためていた、ビオラ弾きのエドナにまた逢えるかもしれないんだから。
昼間のエドナはカラスの姿をしているって聞いたけど、祭の夜だけは新月の瞳と漆黒の長い髪、黒いドレスに白い肌をした絶世の美女に成っちゃう。
エドナと同じ、祭りの名物になってる奏者に、笛吹きのララって言う女の子が居る。
「私はエドナの魔法にはかからないわよ。ただ、あの音を聞いてると、すっごく腹が立ってくるだけ」って、ララは子猫みたいな顔を小憎らしそうにゆがめて、頬を膨らませながら言ってた。
ララはどっちかって言うと、恋をしたら真っ直ぐ「あなたが好き」って言葉で言っちゃうような、直情的なタイプ。
それで、恋人同士に成れても成れなくても、全然へこたれたりしない。恋煩いで微熱出すような人じゃない。だから、なおさらエドナの「思い煩う恋」が、気に入らないんだろう。
ララの笛の音は、その性格を表すように、とっても陽気で、時々すごく情熱的。エドナが新月の女神なのなら、ララは太陽の陽射しを夜に運んでくる光の妖精みたいな感じ。
少し赤味の入った明るい茶色の巻き髪も、チョコレート色の目も、キラキラ輝いてて、闇の中で青白く光るシフォンのドレスを着て、はじけるような音色で、みんなを陽気にダンスさせちゃうのがララ流。
ララの心は、とってもあっけらかんとしてるのね。
もしも、テイルがバイオリンを完璧に覚えて、いずれ祭でエドナやララと共演することに成ったら、それこそ、テイルはララの魅力に参っちゃうんじゃなかなーって思う。
だって、どう見たって、あの子猫みたいなララの明るい笑顔に勝てる要素なんて、私には無い。
今、私の書いてる日記を盗み見て、お父さんが「わかってねーな、マイドーター」って呟いてた。あの悪親父は、一体なんなんだろう。
夏至の祭の日が来た。日が落ちてからも、辺りはしばらくの間、灯り無しでも歩けるくらいだ。
先に魔術師達が集まって、恒例の場所で、大きな焚火を作り始める。薪を持ち寄って積み上げた後、魔力を少しずつ持ち寄って、一晩消えない魔力の炎を灯すの。
私も、もう大人の魔女だから、この焚火作りを手伝うことになった。よく乾いた薪を用意して、自分の髪か爪を切った物に魔力を込めて、集まった魔術師達が「1、2、3」の合図で薪の中に放り込む。
それが着火の合図で、魔力を持った大きな炎が燃え出すのだ。
この焚火が燃え上がると、煙と魔力のにおいを辿って、闇の者達が集まってくる。
私が昔、子守をしていたオークの赤ちゃんも、すっかり大人の女性になって姿を現した。典型的な木の魔物のごつごつとした顔をしていて、皮膚は樹皮に似てて、手足の関節は木の枝の節目に似ている。
人間の醜美の判断から行くと、美しいとか可愛らしいって感じじゃないけど、おしゃべりが上手で、ゴブリンの女の子達とキャッキャとはしゃいでいた。
なんの話をしてるのかなーと思って、聞き耳を立てていたら、「テイル」って言う名前が出てきた。
あるゴブリンの女の子が、魔獣狩りに遭った時、山の管理人をしてるテイルが、そのゴブリンの女の子を助けてくれたんだって。
ゴブリンにも好みはあるらしく、「テイルが、もっと筋肉質で、緑の肌をしてて、私のパパみたいに大岩でも運べる力があったら、あたし、お嫁さんになってあげても良いんだけどな」って言ってた。
テイルも、中々モテるんだなぁ。そんなことを思ってると、鬼火のエッジが私の耳に囁いた。「お嫁さんになってあげてもってところが、お高くとまってるよね」って。
女の子の世界も、難しい。
水専用のアミュレットと月見ランタンの売れ行きは順調だった。
祭での収入は主に物々交換だから、私もだいぶ色んな魔法道具を手に入れた。
さっきテイルの話をしていたゴブリンの女の子が、「男の子を虜にするアミュレットとか無いの?」って言って来たけど、「それは、作ったことないなー」って言って、お引き取り願った。
人の心を惑わす薬や道具を作ったりする魔術師は、基本、祭には出入り禁止だからだ。
ララの笛の音が聞こえてきた。あちこちで、魔術師や闇の者達も、音楽に合わせて体を揺らし始める。
だけど、エドナのビオラの音がしない。ウサギの姿のルルゴが、一生懸命、群衆の中をあちこち探し回ってたみたいだったから、「エドナは見つかった?」って聞いたけど、ルルゴは首を横に振る。
「エドナは去年の冬で引退したよ」って、私とルルゴのやり取りを聞いていた、通りすがりの魔術師が言った。「なんでも、肺を患ったらしいね」
ルルゴの顔が一気に青ざめた。持っていたファンレターを取り落として、ガタガタ震えている。ショックのあまり声も涙も出ないらしい。
「ルルゴ。落ち着いて」って私は言って、ルルゴが取り乱さないうちに、移動用のランプの中にルルゴを押し込んだ。
灯りを点したランプの中から、ルルゴの押し殺した泣き声が、細々と聞こえてきた。