Trill's diary Ⅲ 7

岩屋の中に置いたランプの中で、ルルゴがエッジを話し相手にして、切ない胸の内を語っている。

外では、まだ祭の賑わう物音が聞こえてくる。

エドナのビオラの音がしない以外は、いつも通りだ。

「トリル」と、私を呼ぶテイルの心の声が聞こえてきた。

「テイル。どうしたの?」と、私は心の声で答えた。「祭に来てるの? 人の多い所は嫌いなはずでしょ?」

「俺の父さん達が、去年来てたウサギがしょげてるだろうから、様子を見て来いって。今、何処に居る?」

「岩屋に帰ってるわ。ルルゴに用なら、呼び出すけど」

「分かった。すぐ行く」

そんなやり取りをしてると、テイルが、ランプの照らす岩屋の中に姿を現した。

テイルは見覚えのあるビオラを持っていた。エドナの肺病は重篤なものだと言うことを改めて私達に話し、テイルはルルゴに、「エドナの形見だ。受け取ってくれ」と言って、ビオラを手渡した。

ルルゴは、一度ビオラを受け取ったけど、「これは、私には無用なものです。テイル殿、この弦の音を私の耳に刻ませて下さい」と、テイルにビオラを渡し返した。

「ビオラを弾いたことはない」ってテイルは言ったけど、ルルゴが「曲でなくともよいのです。その深い音色を、今一度私の耳に」と言うので、テイルはビオラを構え、「月光」を弾き始めた。

ビオラはバイオリンより低音の楽器なので、扱うのが少し難しそうだったけど、テイルはなんとか失敗せずに一曲を引き終わった。

ルルゴは、ハンカチで目と鼻眼鏡を拭き、「ありがとうございます。これで十分でございます」と言うと、ランプの中に戻った。


私は、恐らくランプの中の部屋で泣き伏しているであろうルルゴをエッジに任せて、テイルと一緒に鬼火達の集まっている水辺に行った。

ひとつの、少し大きな鬼火が、低い男性の声で「ウサギはビオラを受け取らなかったのか?」と聞いてきた。たぶん、この鬼火がテイルのお父さんだ。

「音色だけで十分だそうだ」とテイルは答えて、ビオラを岩場に置き、岩の上に座り込んだ。

私も、一人で突っ立ってるのが変なので、テイルの座っている岩の隣の岩に座った。

遠くで、ララの吹いている陽気な笛の音が聞こえる。今年の祭は、ダンスパーティー状態だろう。

「音って不思議だな」と、テイルが言い出した。「誰かにはうるさかったり、誰かには嬉しかったり、誰かには悲しかったりする」

「ララの笛の音は楽しいね」と、私は言った。「テイルのバイオリンの音は、綺麗」

「トリルの声は優しいな」テイルは言う。「魔法がかかってるみたいだ」

「テイルが気に入ったのは、私の声?」と聞くと、テイルは少し恥ずかしそうに笑って、「トリルは、優しいな」って言った。

「ありがと。テイルも優しいね」と私は答えた。

「トリルの父さんには、俺はまだ未熟者に見えるみたいだ」って、テイルは静かに言う。「俺も、今のままじゃ、トリルを守れないって分かってる」

「そんなことないよ。ゴブリンの女の子を助けたんでしょ? テイルは、ちゃんと誰かを守ることが出来る人だよ」って私が言うと、テイルは首を横に振った。

「密猟者を追い払う事は出来ても、『心』を守れなきゃ、意味が無い。男って言うのは、力だけじゃダメなんだってことは、トリルの父さんから散々聞いたよ」

「だからバイオリンを習ってるの?」と、私。

「磨かれた音は、心を救うって言われたから」と、テイル。

14歳の男の子は、そんなことを言われて頑張っていたのか、と思って、バイオリンの修行をお父さんの唯の悪ふざけだと思ってた私は、少し反省した。

「トリルにも、まだ俺は子供に見えるんだろ?」って、テイルが聞いてきたので、私はその問いの真意が分からないまま、「子供って言うか…成長期なんだろうなぁって思う」と、曖昧な返事をした。

「俺が、もう少し早く産まれてれば、今頃トリルより背は伸びてたかもな」って、テイルは言った。

「テイルが、もう少し早く産まれてたら、私達、出逢ってなかったかもしれない」

私は、なんだかぼんやりしながら、もしもの話をした。

「鬼火は全然別の赤ちゃんを連れてきて、私は、全然別の人を『テイル』って読んでたかもしれない」

「それは…嫌だな」と、テイルは真剣な顔で言う。「トリルと出逢えないのは困る。トリルの父さんとも、トリルの母さんとも。もちろん、俺の父さん達とも」

その日のテイルは、珍しく多弁だった。

「昔、鬼火の言葉しか知らなかったときは、俺の世界は鬼火達と俺だけだった。でも、トリルの父さんが俺を見つけてくれて、トリルに逢わせてくれた。トリルは、俺に人間の言葉と、世界を教えてくれた。それだけは、絶対に変えたくない」

「過去は変わらないから、安心しなよ」と、私は言った。「それに、私が教えた世界だけが、世界じゃないよ。この山を越えれば、すぐに西の国。全然別の世界がある。世界って、すごく広いんだよ」

「うん。俺は、もっと色んな世界を知らなきゃならない」そう言って、テイルは岩の上に立ち上がり、隣にいた私に手を差し出した。

「あと4年。待っててくれ。きっと、トリルの父さんに認めてもらえる男になる」

私は、この時初めて、テイルの決心の重さを分かったような気がした。

「うん。待ってる」と言って、私も岩の上に立ち上がり、テイルの手を握った。「約束だよ。4年経っても、迎えに来なかったら、どこか遠い国に行っちゃうから」

私が意地悪を言うと、テイルは、「そしたら、その遠い国まで迎えに行く。約束だ」って言ってた。

私達が握手をしたままクスクス笑い合ってると、ララの笛の音が一際甲高く夜空に響いた。