Trill's diary Ⅳ 5

テイルは、いつも通り24時前に自分のねぐらに帰った。その時、字の練習をしていた紙の束を持って行った。

「なんで隠すの?」って聞いたら、「こんなひび割れみたいな時、見なくても良いだろ?」って言ってた。

どうやら、字の上手い下手の見分けがつくようになって、10歳の子供が書いたような自分の文字が恥ずかしいようだ。

16歳の男の子も、6年間のギャップを埋めるのは大変なんだなぁ。

「彼はアリア嬢の…?」と、帰って行くテイルを見て、ウィンダーグ氏がお父さんに聞いた。お父さんは、「今の所は、お友達だ」って答えた。

それから、お父さんがいかにテイルの「鍛錬」に手を尽くしているかの苦労話が始めた。

ナイト・ウィンダーグ氏は、最初はポーカーフェイスで話を聞いていたけど、いつの間にかニヤニヤし始めた。

「何ニヤけてんだよ」って、珍しくお父さんが口をとがらせて聞いた。

「伯父様。正直になりましょう」と、ウィンダーグ氏は静かに言う。「もう、彼を認めているのでしょう? 将来の娘さんの花婿として」

「いーや、まだまだだね」とお父さんは粘る。「まだあいつ、数字10まで書けねーんだぜ?」

ウィンダーグ氏は、それを聞いて、ついにくすくす笑い出した。「難癖は、いくらでもつけられるでしょうね」って言って。


お父さん達が、お客様用の寝具を用意してくれていたので、床に敷いたお布団の中で、ウィンダーグ氏も明け方にはぐっすり眠ってた。

ウィンダーグ氏も、お父さんと同じでお坊ちゃんのはずだけど、適度に柔らかいクッションがあれば、眠る場所は何処でも構わないと言う様子だ。

お母さんは、音に慣れていないお客様を起こしてはいけないから、と言って、ウィンダーグ氏が滞在しているときは、夜しか機を織らなかった。

私は、岩屋の中で、街から買って来た3つの銀細工のキーホルダーをアミュレットにする作業をして、明日が祭だと言う日は早めに眠った。


祭の当日、日が落ちてから、魔術師達が焚火の準備をするのを、ウィンダーグ氏は珍しそうに見ていた。

私は、めぼしい露店で、「千里眼」の魔術がかかった鏡と、「投影」の魔術でこの星を映し出す丸いフラスコ、それから3回叩くと「監獄の結界」を発生させるイヤリングを手に入れた。

鬼火のエッジが、友達の鬼火とプレゼント交換をしている。鬼火から見たら、魔術道具の交換だって、プレゼント交換みたいなものかも。

たぶん、エッジの友達の鬼火達は、テイルの弟や妹達だ。

エッジのように「変化」するほどの魔力を持ってるか、ルルゴの使役する鬼火のように休息する時間があるか、テイルのお父さんくらい強い力を持った鬼火以外は、大体の鬼火は3年くらいで消滅してしまうのだ。

エドナが死去してから、祭はララの独壇場かと思ってたけど、その年、なんと、テイルがバイオリンを持って現れた。

テイルは、お得意の「月光」を一曲弾いてから、ララと一緒に音楽の掛け合いを始めた。

ララが吹いた音色を、テイルがバイオリンで再現すれば、それぞれ違うメロディーを、代わる代わるに弾きあう。二重奏の所も、綺麗にはもっている。

「すごいじゃない。息がぴったりね」と、私にイヤリングをくれた魔女が言っていた。

私は、初めて、ララに焼きもちを焼いたのかもしれない。なんだかお祭り気分がスーッと覚めて行って、拍手喝采を浴びている2人を、座った眼で見てた。

頭の周りに、黒い靄でも立ち込めてるんじゃないかって感じになって、魔力が勝手に暴走しそうだった。でも、何かが私の気分を落ち着かせようとしてる。

私が小指につけていた星屑の指輪が、淡く光っていた。私は、一度冷静になろうと思って祭の群衆の中から離れた。


沢の近くで岩に座り込んでると、ルルゴとウィンダーグ氏が、私の様子に気づいて歩み寄ってきた。

「アリア様。御具合でも?」と、ルルゴは聞いてくる。

「なんでもない。ちょっとイライラしただけ」と、私は口をとがらせて言った。

「彼等は、祭を盛り上げるために練習をしていたらしいですね」と、察しの早いウィンダーグ氏は言う。「決して、浮気心で楽器を奏でてるわけじゃない」

「それは…私だって分かってます」と、私は答えた。「でも、予感はあったんです」と言いながら、私は自分が既に何を言いたいのかもわからなかった。

「テイルは、ただ自分と年の近い人間の女の子を知らないだけで、世の中を見まわせるようになったら、私なんてその辺にゴロゴロしてる石と変わんないって気づくだろうなって」

ウィンダーグ氏は、適切な距離を取って私の横の岩に座ると、「確かに、あの笛吹きの女性は、稀にみる美少女だ」と言った。「でも、あなたもあなたにしかない美しさがあるのですよ?」

「私は美しくありません」と、私は優しい言葉を突っぱねた。「文字と魔術以外、何の取り柄もない凡庸な人間です」

「凡庸な人間は、自分を凡庸であると気づかない」

と言って、ウィンダーグ氏は私の手に、列車の中で食べていた柔らかいオレンジを渡してきた。

「私の妻も、元はガリガリに痩せた、そばかすの目立つ庶民じみた田舎娘でした。だが、彼女が私の心に住むようになってから、彼女は私の中でこの上ない女神となった。

私は、妻が歳をとる度に、より一層美しくなっていく様が見えるのです。それが、立ち振る舞いであれ、心遣いであれ、言葉の機微であれ、この女性と共に『家庭』を築けて良かったと実感できます」

若い夫婦が言ったらおのろけにしか聞こえないけど、私はミセス・エリーゼ・ウィンダーグが既にいつ「おばあ様」になっても良い年齢であることを知っているので、この言葉の深さが分かった。

「私がこれからどのくらい生きられるかは分かりませんが、私の妻はエリーゼのみです。私は、今でも、あんなに美しい女性を見たことが無い」

私は、オレンジを手の上に乗せたまま、なんだか自分がすごくちっちゃい人間になったみたいな気がして、べそをかいちゃた。

「ウィンダーグ様は、幸せですか?」って泣き声で聞くと、「ええ、とても」とウィンダーグ氏は言った。「さぁ、祭に戻りましょう。彼等は、あなたに聞いてもらうために奏でているのですから」

私は、ウィンダーグ氏に手を引かれて、祭の輪に戻った。

バイオリンを弾きながら、誰かを探している風だったテイルが、私を見つけて顔を明るくしたのが分かった。

でも、いくら慰められても、ララとテイルが並んで楽器を弾いてるのは、どうしても納得できない場面だったので、私は隣に居てくれたウィンダーグ氏に、柔らかいオレンジを10回お代わりした。