些末に流れる月夜の言葉

BGM



 皮膚に触れる空気は凛としていて、吐息は白く凍る頃の事だ。

 くるりと弧を描くような銀色の月が見えている。空は黒と言うより濃紺に輝いていて、大きな月にかかる雲だけがインクを流したように黒々としていた。

「もしも」の話をするには良い夜だった。「どうする?」と聞かれたら、笑って冗談を返す事も出来た。だけど、それはとても不思議な問いかけだった。

 僕の数歩先を歩く背は、振り返りもせずにこう言ったのだ。「もし明日僕が消えたら、どうする?」

 僕は耳を疑う事も出来ずに、はっきりと聞こえた声を鼓膜に受けた。

「それは……」と、僕は言い澱んだ。それから、凍える息を吐き、答えた。「困るな」

「困る? どうして?」と、彼は言う。

 僕は何度も、自分の足元と、一切振り返らない彼の背と、空の上の月を見た。

 僕達はもう、彼の助けを得なくても、困らないだろうか? そう思ってみたが、答えは「否」だった。彼は有能なナビゲーターであり、長い旅路には彼の存在が欠かせない。

 そんな事を思っても、それを言葉に出すのは、失礼なのか、卑怯なのか、正直であるという事なのか、それとも彼を傷つけるのかを、次に考えた。

「どうしてって言われても……気の利いた事は言えないけど」と、僕は前置きした。

 それから、僕の本当に思って居る事と、彼の望んでいる答は違うかもしれないと、念を押してから述べた。

「今まで、何処に行くにも、君は僕達の先を歩いてくれた。僕達は、当てもないまま付き従っただけだ。先に行く人が、突然消えたら……自分達から罠にかかりに行くかもしれない」

 彼はそれを聞いて、「うん」と声を出して頷いた。

「それは、大変困るねぇ……」と、彼は呟き、こう言う。「せっかく手に入れた平穏な世界を、また失うのは惜しいものな」

 彼は、くるりと踵で回って見せて、僕の方を振り返る。その表情は、人懐っこそうに笑んでいた。

「つまり、僕達の利害は一致しているんだ」と、彼は言う。「そう言うわけで、これからも、協力し合おう」

 歯を見せない独特の笑顔を見せる彼に、僕は片手を差し出した。

 彼はハイタッチだと思って手を打ち合わせたけど、僕はハイタッチの瞬間に、その手を掴んだ。

 彼は、手を掴まれたまま、目を瞬いてきょとんとする。それから手を脱力して、「ちょっと、離して」と、呆れ声を出す。

 僕は、彼を引き留める言葉が言えなかった。だから、掴んだ手に力を込めた。

 何処にも行かないでほしいんだ。友達でいてほしいんだ。君が宇宙人でも、何者でも、僕達は君を怖がったりしない。

 そう言いたかった言葉は、声にならなかった。僕は、唇を噛み締めて、地面を見ていた。

「分かったよ」と、彼は返し、「冗談にもならない事を聞いて、悪かった」と謝ってくれた。

 そう言う事じゃないんだけどな……。そう思いながら、僕はようやく顔を上げ、彼の雪影色の瞳を見た。その青が、少し潤んでいたような気がしたのは、僕のエゴだろう。


 帰り道。凍った花が黒く枯れている。冬が来る度に、僕は何度とこの記憶を思い出すのだ。こう言うのを、思い出って言うんだろう。

 月明りは、今日も鮮やかだ。



>「アイラの実りが揺れる声」
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