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時々徒然

人生が長い事について

死なずに生き延びたおかげで、人間としてはだいぶ生まれてから経過してるほうなんですけど、それでも、「人生に何の面白みも見つけられなくなる時」ってあるんですよ。

それが一日だけの気分だとか、一時の鬱だとか、そう言う事も分かっていても、「一体何が面白くて人生を過ごしているのだろうか」とか、「この先面白い事なんて一切ないのではないだろうか」って思うんですよ。

そう言う状態がロングランに続く人が、所謂「鬱病」の人で、重度になると「行動する気力も毎日の自分の世話をする気力も、自殺する気力も無くなる」って言う状態になるんだって。

だからと言って、「鬱病の人って結局死なないんじゃん」って思ってると、自殺しなくても衰弱死して発見されることになります。

僕の「時々鬱人になる」傾向は、一時的なものだったり、ストレスの原因(疲労、睡眠不足、栄養不足、就業時間の拘束)が取り除かれれば回復するので、そんなに重症じゃないんですけど、一時的でも「未来には何の夢も希望もありゃしない」ってなると、その場に居るのも辛くなるんですよ。

そのローな心持の原因は、「体が動かしたいだけ」とか、「野菜を食べたいだけ」とか、「カフェインの入っていない飲料を飲みたいだけ」とか、細分化すれば分かるんですけど、そのこまごまとした要因を一個一個我慢して行って、「なんかだりぃな」って言う気分も我慢して、「なんか辛いな」も我慢した頃に、「人生ってなんか意味あったっけ?」ってなるんですよ。

一番簡単な表現をすると、負荷を我慢し続けたことにより、脳が反射的に「死にたい」って思ってるんですね。だけど人間と言うのは簡単に死なないようにできているので、「生きていたくない理由」を考えてしまうんですね。それが「人生に生きている意味を探し始める」と言う脳の反応。

脳としては、「ドーパミンがいっぱい出ていて気分が良くて、明日もいっぱいドーパミンが出せると良いなぁ」って言う状態に持って行きたいんですけど、我慢と言う名の下にドーパミンが出せる状況が色々堰き止められて、「気分良く生きていられない=このままでは苦しみが続く=死にたい」ってなるんですね。

死にたいって言う気持ちって、「人間がソフトに死の予感を意識する」時に、そんな「死の予感を感じながらじわじわ死ぬ」より、「面倒くさいからサクッと死んじまおうぜ」って言う、変な脳のポジティブさなんだと思います。

だから鬱病の人より躁鬱病(両極性感情障害)の人のほうが自殺する確率高いのかも。

そんな他人事は置いておいて、週末の滅茶苦茶疲れている日に、勤め先のラジオで重たい話を聞いたせいで、すごく気分が暗いのです。国を挙げて取り組んでいると言う、「持続可能な開発目標」について話してるラジオ番組だったんですけど、内容を忘れても気分がすごく暗く重くなった事だけは覚えています。

同僚に、「毒出しをしなさい」とか、「スーパー銭湯とか行くと良いかも」って言われたんだけど、このご時世で共同入浴場に行くのが抵抗があるので、今日は家のお風呂を綺麗にして、普段だったら考えられないくらいお湯をためて、湯船に浸かってみようと思います。

入浴剤を切らしていたかもしれない…と思って、風呂場の前に置いてある「お風呂関係セットをぶち込むための籠」を見てみたら、高級ホテルに宿泊した時にもらってきたアメニティの入浴剤があったので、この機会に使ってみたいと思います。