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制作秘話



2020年【5月の音響】について



最新曲の他に新曲を作りかけて、イントロで力尽きて、気分を変えようとボカロ曲以外の曲をYouTubeで探して、幼女戦記のOP見つけて聞いて、

「やっぱりこのくらいキテルのじゃないとだめだよな」と思って、すごくフレッシュな状態の、最新ボカロ曲投下。

GUMIさんが歌ってるやつ。たぶん、この曲の取り扱いについては【時々徒然】でグダグダ言っていたと思われます。

なんかね、対抗意識ってわけじゃないんだけど、やっぱり俺はポップスの世界では生きていられないんだと思う。

ポップスもスローロックも嫌いなわけじゃないんだが、今俺の中で流行ってるのが、「スクリーモ」だったり、「がなり系」だったりするので、

ポップスの「爽やか☆」「青春☆」「ロマンス☆」ってのが分からんのな。思わず「☆」を点けてしまうほどわからんのな。

俺の曲を聞いて、爽やかで疾走感があって云々と思ってくれても、それは視聴者さんの意見として受け止めるが、俺はその裏に隠れた毒を知っている。

逆に、疾走感とかノリの良さを重視してくれる人に、毒の入り方を教えるのもなんだかな。

俺は〆切を守った。後は好きなように聞くがよろしい。

2020年5月



5月の音響「舞姫」について



森鴎外の「舞姫」とは、一切関係ありません。曲調と、GUMIの歌声的に、舞を舞っているかのようなイメージがあったので、「舞姫」にしました。

「朔宵」と言う候補もありましたが、「どうせこいつ歌詞の中から適当にタイトルつけてるんだぜ」って言う、素直に自分が中二であることをさらけ出してくる人々に反発してみようとか。

僕も幼女戦記のOPとか聞いて、「えらいカッケー」とか思うほうなので、適度に高二病なんですけど、中二の人は、早く良い意味で大人になって下され。

お前の書いたポエムに、お前が自分で考えた曲とメロをつけてみてから世間を罵りやがれと思うんですよ。

同郷の知り合いに、俺の創作物は全部適当だと思ってる奴がいたのを思い出して、イラっとしながら歌詞を書き移していたので、ちょっと今回荒れてます。胃が。

上記で、この曲には毒が含まれていると書きましたが、「笑う蜥蜴」って言う所が、一番その毒を表しているかなと存じます。

人間って、悪意で笑って遊べるんですよ。そこで、あえて「遊びましょう 死へと向かう 遊戯歌う」って言う件が出て来たんです。

その悪意は、誰も裁きもしない陳腐なものだけど、笑っている蜥蜴以外には、気分の良いものではないと。そこで、「罪をと問うに」の件が出てくるのです。

何かに対して、マウントを取りたいって言うのは、誰も自分を評価してくれないことに対する「自己肯定」の作業であると、最近知ったんですけど、

誰かの話に対して、「そりゃーすげぇ」って言えない人って、すごく余裕が無いんだろうなって思います。

音声トークのコーナーでも「余裕」って言葉を使いましたけど、心の余裕って大事だと思うんですよ。

何処かで与えられたストレスを別の所で吐き出そうとするから、気味の悪い笑顔を浮かべる蜥蜴になってしまうわけで。

蜥蜴の笑みを浮かべる人々には、あんたを殴った人は誰だい? あんたを罵った人は誰だい? あんたを傷つけたのは誰だい? って言う疑問を持ってます。

トラウマから逃れるために、明後日の方向に敵を作って攻撃してても、解決はしないんですよ。

「罪は負うて 天地に結いて」の部分がこの話になるんですが、その悪意と遊ぶのは、天地神明にかけ罪を負う覚悟が出来てるか?ってことです。

「雨雫となりて真」の部分は、全体にある「流転」のイメージですね。

世の中で水が巡っているのは当たり前だと思われているけど、その水を汚すのか、清らかさを保つのかは、その「水」に関わる全てのものに担われているわけで。

それが明らかな光の下で八百万の神々に問われた時、どう答えられる? って言う、全体的に「問い」を投げかけている歌詞です。



今回の作曲について



ピアノとストリングがヘ音です。ピアノは高めのヘ音。ストリングは低音のヘ音。

ギターリフがジャカジャカ言ってるところに、ピアノが叩きつけられて、ストリングが蠢いてて、ギターソロが入る。と言うイントロです。

ピアノの構造が、僕が良く和系の曲で使う琴の旋律に似ているのですが、あえてピアノのままです。それでも、自分の中ではこれは和系の曲だと言う印象があったので、歌詞も和系にしました。

最初はピアノをベースにしようと思ったんですけど、ストリングがさらに低音なのです。ストリングは効果音としてお聞き下さい。

一周したら何のアクションも無くイントロに戻るんですけど、あれはあれで噛み応えがあって良いと思うんですよ。

イントロ戻るの早くねー? 的な意見は、確かにあると思います。でも、3ループ目で多少変化するので、あのタイミングでイントロ2周目出てきても良かろうと。

歌詞は今回ほとんど繰り返しはありません。あえて重複する表現を使ってみたところはありますが、それは所謂「強調」と言う表現手法です。

国語の「詩の授業」とか、「論文を読み解く授業」とかで、作者(筆者)の言いたいことを何十文字以内で書けって言う、すごく無謀で無意味な授業あったと思うんですけど、

「強調」はしても、「それが俺(作者)の言いたいこと」ではないと言うことは、さっき書いた通りです。

ガッコ―のセンセーが教えたい「オリコーさんな答」と、筆者の意見は決して一致しません。ですが、その下らねーテストは、子供達に「言語理解力があるか」を試しているだけなのです。

キーワードを選出して、並べ替えて、説明する能力。それを鍛えるために、詞や論文の作者は生贄にされているのです。

ガッコーを頑張っておくのは、人生の役に立たないけど、とりあえず「資格」は手に入ります。センセーの洗脳に耐えたと言う資格が。

でも、卒業した後も、オリコーさんなまま生きて行こうとすると、蜥蜴になるから注意しましょう。