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時々徒然

My heart is bad and…

タイトル和訳は、「僕の心は腐ってるから」です。腐ってるから腐ってるなりに分かってることもある。

まず第一に、自分が、善人で無い事は分かっている。信仰心熱い熱烈なキリシタン(?)の人が聞いたら、ああ言う曲は、悪魔の囁きなのだろうと。

最初は、ちょっとその辺を気にしてた。でも、繰り返して聞いてるうちに、「全然普通の曲じゃん」って思うようになった。

世の中には、もっとえぐいこと言っている人達も居るしなーって思ってしまうくらい、そのえぐい言葉を知っている自分は、決して善人ではない。

政治と宗教とカネの話とかネタは、ヒトを不愉快にさせるから、言わないし使わないほうが良いって事は分かってる。だけど、ああ言う言葉しかメロディーに乗せられなかったのだ。

確かに、キリスト教圏の人でも、キリスト教徒じゃない人とか居るし、ジーザスさんについて、ガツンガツン皮肉を言ってる人とかいる。

であるが、それは、その人達が「キリスト教」と言う概念で自分達をくくろうとする社会に物申してるわけで、彼等の「意志表現」である。

神道と仏教は生活宗教と哲学なので、日本人はあんまりこの二つに「括られている」とか思わない。仏教は戒めを求めるが、その戒めにも歴史の中で慣れ親しんできている。

「唯一神」って、砂漠に規律を持たせるための考え方だから、砂漠以外に住んでいる地球人には、若干特殊な考え方なのかもね。

だけどキリスト教も、歴史の中で色々揉まれたので、ヤーウェさんとか、ジーザスさんとか、マリアさんとか、ヨハネさんとか以外にも、信仰する存在や表現の形がある。

それが、今でも天使信仰とか、聖人の奇跡の話とかで、語り継がれたりしているわけだ。

キリスト教新興前にあった、古い文化の祭(所謂魔女と呼ばれる人達の祭)も、聖人の祭として復活しているそうだし、昔ほど「頑なな宗教」ではないのかと。

「教え」と言うものの形や、信仰の仕方は個人差があるから、逆に今でも旧約新約聖書通りの世界感を教え込まれる人達や、悪魔の存在を徹底的に植え付けられてる人達とかもいる。

人間って、頭の中にあるデータの中でしか、「世界」を観れないので、そう言う「世界」を信じて生きている人達なんだから仕方ないと言えば仕方ない。

「そう言う世界の人達」と、僕は個人的に接点があるわけでないし、特にキリスト教に反感もない。一緒に信仰しましょう! って言われたら断るけど。

誰かが信じているものに対して、反逆を企てようって気はさらさらない。僕の眼から見た「彼女」はそう見えた、くらいの感覚かな。

僕本人としてはそのくらいの感覚だけど、もし、こてこてのキリスト教徒の人が、僕の作った曲を聴いたら、「クタバレ」って思うかもね。

そう言うこてこてのキリシタンの人は、パンクロックなんて聞かないと思うけど。