ええやんって言う許容

まさか、突然の雨に打たれて木の下で雨宿りをすることになるとは思わなかったけど、夕立は一瞬で止んでダイナミックな夕方の雲を写真に収められた日でした。
通常の外の気温が「お風呂に入ってる時と同じ温度」である以外は、割と良い日だったのかも知れない。特別な場合以外運動をしないように呼びかけられていたけど、「暖かいお風呂に入っている状態で運動をする」と言うのは確かに異常だなと思いました。
家に帰って来てからエアコンを付けましたが、壁や床や天井に行き渡った熱気が中々冷めないです。冬はどうしたって寒いし、夏はどうしたって暑いし。
SNSで、小説に関する情報とか、他人様が心無い他人様から受けた批評とかを、ちらほら見るようになりました。小説に関する情報で、「へー。そうなんだ」って思う事は多々あります。色んな方法があるのだから、色々な方法を試してみるのは悪くないと思います。
「そんなの覚えても無駄」って思って選択肢を少なくするよりは、無理かもしれないけど実験的にその方法で創作をしてみようと言う、実験作品的に執筆をするのも、僕個人としては面白いと思います。
それから、短い短編が嫌いな人もいるらしいです。○○文字以上無いと読みたくない的な。なんでその人が短い話に苦手意識を持ってしまっているかは分からないんですけど、そう言う人は「詩」とかのジャンルを読めないですよね。
それも世界観を狭める事なので、敢えて短文の世界に飛び込んでみるとかすると良いかも知れませんね。詩じゃなくでも、俳句を読んでみるとか。短歌を読んでみるとか。
文字数を厳選する事に美学を見出した世界に触れた後だと、長文を読んだ時の読み応えとか、むしろ長文すぎる事の読みづらさとか分かるかも。
ですが、長文を設定する事によって「もうちょっと盛り込めるな。此処の描写を細かくしてみるか」とか、「もうちょっとストーリー展開するか」とかを考える余地を自分に課すと言う事もできます。
短文には短文の面白さ、長文には長文の面白さがあると思う。僕は雑食さんなので、詩も俳句も格言も短編も長編も連載物も、時間があって、その文章が面白いならなんぼでも読むんですよ。
その雑食さんが思うに、まずは、「ええやん」って思う事かな。「あれは駄目これは駄目」「こうじゃなきゃ駄目」じゃなくて、「これでええやん」「それでええやん」って言うある種の許可は必要だと思う。
だけど、僕も好き嫌いはあるので、気持ち悪い話は読みません。この文章を書いている人はこう言う世界が好きなんだなって思って、そっと画面を閉じる。
意見があるとすれば、漫画的な台詞回しを小説にそのまま使ってしまうのは、読み手としては「ちょっとわかりずらいなぁ」ってなるので、其処はもうちょっとだけ描写が欲しいなと言う思いはあります。
例えば、バトルシーンで登場人物がダメージを受けた時、「ウッ」とか、極端な所だと「ッ」て言う台詞でダメージを表している場合、そのダメージが「指先を切ったのか」「腹に一撃くらったのか」「擦り傷が出来たのか」「皮膚が内出血したのか」「腕が折れたか」とかが分からない事があります。
せっかく大事にしている登場人物が傷つくと言う痛々しい描写が苦手な人もいると思うけど、「ダメージを負った」のなら、「どのように負った」のかは描写してほしいのです。
バトルでダメージを負っても、バトルが終わったら瞬く間に回復できる…って言う世界が、ファンタジーに許されている許可だと思うので。回復魔法と言う存在が許されているのだから、少し手痛い傷でも大丈夫! って考えてしまうのは、残酷なのだろうか。