雨曇り
「小説家になろう」と言うサイトがあるらしい。サイトに投稿された作品が、実際書籍になったり、メディアミックスされて全然別の話になって世の中に広まったりしているらしい。
「転生したらスライムだった件」と言う作品から端を発したと言う、「転生物」と言うのは、一大ジャンルを築くほどの人気っぷりらしい。
実際に俺が見て、覚えている限りでは、確かに「転生物」と言うジャンルの表示があるのと、行飛ばしが半端ない文章が書かれている画面だけだが、
愛読者によると、「色んな別の作品の寄せ集めでできている物語が主だが、ジャンルを築くほどになった大元の作品は確かに面白い」らしい。
ここまで読んでお分かりだろうが、俺はほぼ確かめてはいない。だが、「小説家になろう」と言うサイトはあるのだ。
俺もHPで小説を公開している身だが、特に「小説家になろう」に投稿しようとか言う興味はわかない。
アマチュアかプロかの違いと言うかは、作品のクオリティもそうだが、何より「興味をひかせる物語」を、「定期的に発表できる能力」が無いと、プロとは呼べないわけだ。
文章力、表現力、描写力、発想力、これらを組み合わせ、一定のスパンで「完成」させた作品を提示できるのが、プロだと思う。
何より納期(〆切)が守れなければ、どうにもこうにも成らないのだ。
ここ数ヶ月、我家はバタバタしていたので、HPのほうの〆切が曖昧になって居たが、一応納期は守っているんだ。
むしろ、巻きで作品を提示している状態だ。「Ash eater」シリーズの3部目にあたる、「Trill's diary」は、1話目をある月末にアップして、2話と3話が同じ日にアップされて、
緩急話題?である「Tale's talk」と、本編第4話が一緒にアップされて、現在は、「Ash eater」シリーズは第4部を執筆中。
しかも、第4部の1話目は書き終わっている。このシリーズはとても筆の進みが良い。
数年前のあの日、シリーズの大元になる「Ash eater」と言う物語を書き始めようと思わなければ、未だにノベルコーナーは閑散としていただろう。
クリエイターとして、何か表現することに関して、時には人と衝突することはある。
噛み砕いて言うと、よく分からないが、何故かケンカを売られることが多い。ケンカを売ってくる方には、何かあったんだろう。だが、俺はその人が喧嘩を売ってくる動機に関して何も関与していない。
何等かの媒体にケンカ文句を提示した人が、何等かの媒体で「自分への返答」であるような文章を目にした、「これは文章からして、私が喧嘩を売った相手が返答してきたのだろう」と推察した、って言う例を見たのだが、
完璧その人が一人で舞っているような感じがするのは、俺の気のせいだろうか?
ともあれ、そんな一人で舞ってる人のことは置いておこう。
どんな表現者でもそうだが、「嫌いならわざわざ見るな」「嫌ならわざわざ聞くな」「昔のほうが良かったって言うなら昔の作品だけに接すれば?」って言うのは、至極まっとうな意見だ。
別に、「提示」してあるからと言って、「私達には観る義務がある。そして意見を言う権利がある」とか言う、わけのわからない使命感を持たなくてもよいと思う。
こう言うことを書くと、HP閲覧者の数減るかも知れないけど、作品に触れるのは、義務ではないのだ。
「私達には、この美術に触れる義務がある」とか思って猛々しく美術館に行く奴いないだろ?
みんな、もっと気楽に生きろよ。