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時々徒然

なんて言うか、今まで、「他人に嫌われない事」って、結構意識してたんですよ。特に、創作に関わる事でも、その発想と言うか暗示は顕著で、作品は自分の意識意見を落とし込む媒体ではなく、

絵や文字、音として別の人間の脳で再生されるものであると。他人の意識が強くかかわってきて、自分の言いたいことなんて、作品が出来た後にちょっと語れるくらいだと。

だから、僕はキャラクターの人格を無意識に再生できるまで自分の文章を読みこんで、彼等を一定の条件下で自由にふるまわせるって言う、甚だ頭を使う面倒な小説を書いたり、

あんまり自分の作品を広告しなかったり、HP以外の媒体で「作品展示」をしなかったりしたんです。それが、僕が自分を「ネットコミュ障」であると述べる件です。

今は音声トークのコーナーも運営していますが、基本的にwebって文字と映像の世界じゃないですか。SNSであっても、画像と文字の世界。

もし、自分が自分のために書いた文章でも、他人の脳の中では「自分への意見の提示だ」と思ったり、「意見を押し付けられた」と思ったりする場合もあるんですよ。

そこまで病的な人もそんなに居ないとは思いますが、病的と言うか、人間の子供の脳って、「他人がこう行動したのは、自分が要因だ」って思うようになってるんですって。良くも悪くも。

その「子供脳」の持っている危うさが、プライドや言語として表面化するのが中学生くらいだと思われます。だから、世の中に中二病って言葉があるのかなと。これは僕の予測ですけどね。

中学生の時点で、「世の中は自分の思い込み通りに動いている」って言う脳の作用がおかしいって言う事に気づいて、そこで「成長」出来る人は良いんですよ。

現代では色んな障害の知識とかも得られますし、何らかの原因で「子供脳」を卒業できなくて、大人になっても「子供脳」を抱えてる人とかいっぱいいます。

子供の頃の体験がトラウマになって、ずっと「子供脳に植えられた恐怖」と戦ったり、自分の「幻想」と「現実」が区別のつかなくなっている人もいます。

幻想と現実と書きましたが、ファンタジーを「物語」として提示することを批判しているのではなく、日常の中で遭遇した人物に幻想を抱く人が居ると言う事ですね。

病気の一種としては、「注視妄想」と言うのがありますが、常に誰かから見られている気がするって思いこんでしまう病気です。

軽度のこの症状を持つ人は「自分は今誰々から見られている。だって、俺の…」と、理由を妄想します。自分の心の病を気付かないように正当化するわけです。これが「区別」のつかなくなってる状態。

そう言う、色んな理由で「自分の幻想の世界」で生きている人って、かなりの確率居るのですが、知ってても人間のそう言う「病み」の部分に、なるべく触れないようにしてきたんですよ。

大体の人は、「子供脳」とか、「軽度の注視妄想」とか言われても、何処か他所の可哀想な人の話だと思うと思うんですけど、もし、この文章を読んでくれている人が居て、

その人が「自分の事を嘲笑っている文章だ」と思うなら、あなたの中で「子供脳」と「病み」が動いていると言う事です。

だって、僕は、あなたのことを何も知らないからです。この文章が誰に読まれるかも知らないし、読まれないかも知れない。

明日の自分が読んで、つまらない事を書いているなと思うかも知れない。

そう言う部分はぼかして、なるべく今まで触れないようにしてきました。でも、そう言う「やさしさ」って必要ないと思うようになって来たんですよ。

世界はお前を中心に回っていないって言う事を、宣告してあげたほうが良い場合もありますし。

時と場所と場合と言うのがありますので、その考えをどのように表現するとか、表現する媒体とか、そう言うのは選びますけど、この駄文のコーナーも、少しずつ変わって行くかも知れません。

僕も人間ですから、段々と成長したり退化したりしますしね。脳細胞が退化してしまう前に、色々考えておくのは悪くないかなと。