
「猫又ジキル博士のお話」ですが、夏目漱石に影響を受けました。猫の視線で人間や物事を見て、最終的にジキル博士は8歳(人間年齢48歳)で月の世界に旅立つんですけど。
猫又ジキル博士の別の物語も構想中です。出来れば、推理ものが書きたいと思っています。推理ものは初挑戦なので、たぶん「わっかりやすい展開」になると思うんですけど。
(そして9日後)
先週の日曜日の「なろう」の短編で、猫又ジキル博士のミステリーを書いたんですよ。登場するのは、猫と犬だけで、他の生き物も少しいるんですけど、青雀玉(あおじゃくだま)大学は猫の大学だと言う事が判明しました。
しかも、校風が荒れてて、猫族と犬族の対立があって、猫族は「野蛮な犬族」だと思ってるし、犬族は「高飛車な猫族」だと思ってます。だけど、夫々の種族の祖先が同じであることを、彼等は非常に忌み嫌っているんですね。
犬族は大体、警察官とか福祉関係とか、割としっかりした職業についているんですよ。でも、それは猫族にとっては「野蛮な犬が吠え立てる機会をうかがいおって」みたいに見えるし、猫族はそれこそ学を積んで研究家とかになるんです。
猫族が研究や発明とか芸術とかに興味を持つのを、犬族には「貴族ぶった猫共が昼間から遊んでやがる」みたいに見えるんですね。
そう言う背景がある中で、猫又ジキル博士が、殺猫事件の謎を解いていくのですが、「本格物」とは違って、話を読んで行くと自然に事のあらましが分かるって言う形式にしました。
「本格物」って言うのは、謎解きの前に容疑者や殺害条件とかアリバイとかを全部提示して、読者に対して「誰が犯人だと思う?」って言う推理をさせる類のミステリー小説の事です。
今回、わっかりやすい展開ながらも探偵もの? を書いてみて、プロットってすごく大事だなと思いました。書いてる本人は誰が犯人で、どのような事が起こったのかを把握していなきゃならないけど、それをいきなり提示したら物語として成り立たない。
なので、情報を提示しながら、最後の謎解きまで読んでもらえるものって言うのを書くって言うのには、文章の魅力とか登場人物の魅力とかなくちゃならなくて、世のミステリー作家さん達は頑張ってるんだなと思いました。
ちなみに、ちゃんと執筆しようと思って書いているのですが、「本猫」とか「殺猫」って書く度に僕も緊張感が緩んでしまって、一人で笑いながら執筆していたんですね。
登場獣物達の名前は、非常にふざけています。猫又ジキル博士だけ「猫又」だと浮くよなって思って、黄金(こがね)レトリバー以外は、ほとんど神話とか怪談に出てくる化け物の名前です。セイラ・フィム君とノトル・ダーム君は化け物じゃないけど。
これからももし、猫又ジキル博士の話を書くとしたら、やっぱり化け物の登場獣物が出てくると思います。改めて、神話の本とか買ってみようかな。