期待は裏切られた

今日は1月11日です。1が3つ並んでいます。ラジオで「今日は1が3つ並んでるので○○の日」とか言うかなーって思ってたけど、何事もない一日でした。
同僚にその話をしたら、「連番は4桁からだからじゃない?」って言われたんですけど、「じゃぁ、2222年2月22日はどうなるの?」って聞き返したら笑顔でスルーされました。
ハイパー猫の日とかウルトラ猫の日とかメガ猫ミレニアムの日とかの名前を付けて、日本限定で良いから、猫を奉る日にしてほしい。199年後の日本人よ、頼んだぞ。
話は飛びますが、朝にカップ麺を食べるようになってから、一日の間で「こってりしたものを食べたい欲求」が減退しました。むしろ激減しました。なので今日の夕飯もかけうどんです。
香川県のうどん屋さんだと、リーズナブルなうどんなら90円とかで食べられるらしいですね。だけど、食品コーナーでうどん一玉28円の表記を見ると、やっぱり自宅で茹でうどんを食べたほうがお安いんですね。
だけど、うどん屋さんなら、出汁が美味しかったり、麺が打ちたてだったりするんだろうな。そして、食器を洗う時の手間とか水道光熱費とか考えると、やはり90円は安いのか。
とりあえず、うどんは美味しい。食品売り場で一袋28円で売ってるうどんでも、薄めた麺つゆと一緒にレンジにかければあっと言う間に一食分。
よく考えたら、蛋白質らしい蛋白質を摂っていないので、午後(夕方)のコーヒーに牛乳を入れてみよう。今日はBOSSのコーヒーを飲まなかったので、そんなに「めっちゃテンションが高いぜ!」ってわけでもありません。
199年後の「日本猫好きの会」の人々に願いを託しているのは、普通に普段の僕が何となく考えてることです。未来には夢があったほうが良い。
そう言えば、同僚には「スルーされた」のではなく、正確に思い出すと「人間生きてるかなー?」って言われたんですけど、多分生きてるでしょう。どんな生活を送っているかは分からないけど、199年くらい軽く生存できますよ。この、しぶとい頭の大きな霊長類は。
「神様」とか「悪魔」って言う、姿の無いものの概念を信じてしまうって言うのは、ホモ・サピエンスの脳の中に発生した異常で、その「概念を信じられる」って言う生物としてはある種の狂気のおかげで今の人類って言うのは大きな群れの中でも生きていられるんだってさ。
だからね、猫に神様はいないんだよ? 良いじゃないか。神も悪魔も居ない世界。猫達の猫としてのサバイバルがはびこる世界。家猫として特化と退化をした猫達は、野生に戻れるのか?!
僕もそこそこ生きたので、人間が滅ぶなら滅ぶで良いんですけど、滅ぶにしても他の生き物に迷惑をかけない滅び方をしてほしい。僕も一匹の人間としては、明日突然自分の生涯が断絶しなきゃ良いかなくらいの希望は持っています。
たぶん、僕は死ぬ間際になったら、「もっと美味しいものをたくさん食べておけばよかった」って後悔すると思うんですよ。だけど、一番最後に何でも自由に食べて良いってなったら、温かいフレンチフライをケチャップでって言うと思う。塩コショウでも良いかな。たぶん、しょっぱいイモが何より食べたいと思う。
そしてウーバーイーツで注文してもらってる間に死んでるか、何も食べれない状態になってると思う。臨終の間際って、酸素マスクされたら後は息をしなくなるまで放っておかれますからね。
人間が老衰で死ぬときに後悔する事の1個で、「もっと恋をすればよかった」って思うらしいって聞いて、「へー。人間って死に際に人生がややこしくなることを実行したくなるのか」って思ったんですよ。
死に際ですから、全ては美化されますよね。死ぬ間際の暇な脳内で作られた妄想の中では、その恋とやらは「青春」って言う甘酸っぱい幻想になるんでしょうね。
そんな風に思ってる僕も、後輩とかには「恋しとけ」とか言ってます。心の中にキラキラした物があるうちは、それを謳歌したほうが良いと思うんですよ。
僕の心は…人間が滅んでも猫達には生きててほしいよなって思う風に、人間としては歪んでしまっているので、キラキラは無理だ。もし、猫カフェの猫嬢達がもっとフレンドリーだったら、不特定多数の猫嬢を口説くために、1時間千円払うかもしれないけど。だけど僕はお金を貯めるのが趣味の人なので、多分猫嬢にも貢げない。
残高の数値が上がって行くたびに、とても満足感を感じます。そして、自分に「ご褒美」を与える代わりに、「次のステップ(目標金額)」を設定します。まともな飯も食わずに何を追い求めているんだろう。