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時々徒然

今日はとつとつと

この数日、あんまり駄文を書かないで、せっせと作業をしていたので、今日は語ろう。何を? って言ったらそれは書きながら考える。

このコーナーの駄文を書くときは、作業が一段落したとか、駄文しか書く事が出来ないとか、頭の中が「もゆ~ん」ってなってるので整頓したいとか、そう言う時が多い。

今日気づいたことがあるんだが、俺は午後にコーヒーを飲んでなくても、気分が良ければ普通にハイだった。コーヒーを飲んでいると、そのハイの状態が加速されて、訳が分からなくなる。

だが、定時の時報を聞くと我に返って普通に帰宅する。何なら、ちょっぴりセンチメンタルになりながら帰宅する。

今日はちょっと欠けた丸い月が東に浮かんでいて、何かの星座の一等星が残照の空にぽつりと浮かんでいて、「何故この瞬間に我はカメラを持ってこの地点に徒歩で来れてなかったんだ」って思った。

バスに乗っていたから観れた風景なので、無い物ねだりでしかないのだが、秋の長い夕方の美しさをカメラに収めたいとは常々思う。

「あれは星だね。もしかしたら星じゃないかも知れないだよ」と、頭の中でひとしきり自答自問して、「良いじゃないか。暗い事は考えないでおこう」ってなったんだけど、

なんで人間って、星を見て「あの星はもうない星なのかもしれない」って考えるんでしょうね。星と地球の間には光の距離って言うものがあって、光が地球に届くまで何億光年とかかかるんですよ。

空を見て、星が光って見えている、だけどその光はものすごく昔にその星が放った光で、何億光年かけてようやく地球に届いていると言う…時差みたいなのがあるのです。

地球で、「現在、星が光っている」と思って星を見ているけど、時差を考えると、「現在」のその星はもう消滅してるかもしれないし、まだ光っているかもしれないのです。

僕はああだこうだ言う割に、人生の時間を無駄にしてきたタイプなので、今、冴えないなりに作家業をしっかりやって、生活に焦らなくて良いくらいの状態を手に入れているのがとても幸せで、

この先もずっとこんな感じだったら良いな、欲を言うなら、もう少し作家業をバリバリこなせたら良いな、くらいに思ってるんですよ。

バリバリこなせる時間があった時は、世界の見え方が狭かったと言うか。心に余裕がなかったんですね。

自分の一日のルーティーンって言うのが無くて、心の落ち着きどころがなかった。僕は、ずっと誰かと一緒に居ても負荷になるし、ずっと一人でも調子を崩すほうなんです。

そんな中で、本当に「突っ走る」だけの勢いで、色んな機材やPCやソフトを集めたりデータを集めたり作り出したりして、訳が分かって無いのにCD作ったりイベント参加したりしていました。

イベント参加をしていた頃に作ったCDを聞いてみると、各曲で落差が激しいなぁって思いますね。

今まで「過去の遺物」だと思ってあんまり聞かなかったんですけど、幾つかの曲は割と聞けるんですよ。だけど、今の耳で聞いても「どう聞いてもノイズにしか聞こえない」って言うのとかもあります。

そんなわけで、5枚目のCD作りには慎重になっているのです。なるべく、「良い作品集を作ったんだな」って、先の世でも思いたい。

そんな時に、空に一個だけ光っている星を見つけたりするなら、考えるべきは「綺麗に光っていますね。これからも光っていますか。そうですか」って言うことですね。

「今は存在しない星かも知れない」とか、暗い方向に考える必要はあんまりないのです。そう言うのはセンチメンタルとは言わず、マイナス思考と言うのです。

あの星が光っていると言うのは「地球」では、まだ現在なのですから。

こう言うことを考えながら、小説の中で「未来」「現在」「過去」の時間軸とか考えているんです。へんてこりんな所では優秀な働きをする頭脳だと思います。