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時々徒然

片づけたい

時々起こる、「片づけたい衝動」。家をすっきりさせたい、片づけたい。作業が終わってから、紙とか道具を「とりあえずこの辺に」って言う所に置いておくことが多くなって、結構荒れている。

今、5分ほどパソコンを放置して少し片づけてみた。やっぱり、棚から飛び出てる書類とか無いと、すっきりして観える。

収納値はほぼMAXの物屋敷なので、整頓して、要らないものを捨てて、収納値を少し残しておきたい。なんと言うか、オシャレな家に住みたい。

電気の配線とかは変えられないけど、「project make over」に出て来るみたいな、すっきりしてて掃除もしやすそうで、視覚的にオシャレな家。

そうすると、問題になって来るのが家具ですね。今の家具の配置も、それなりに機能的で、嫌いではないんだ。だが、ごみごみしすぎているんだ。

たぶん、今回の片づけは「整理整頓」だけでどうにかなるだろうと思う。空き瓶のコレクションとかどうしようかな…。画材になるかも知れないので一応取っておこう。

その他に問題なことと言うと、本なんだ。大体は絵の資料とか、目の保養とかのための本なのだが、全然読まない本って言うのがいくつかある。

その本を買った時は必要だと思ったので買ったんだし、これから必要になって来るかも知れないので、それも整頓だけで保留かな。

目の保養と聞いて、エロスの方面を考えた人々よ、地球と四季の風景の美しさを見るのも保養になるのだぞよ。

そんなわけで、しばし家を片づける。

(小一時間後)

家を片づけるついでに洗濯物をしている。正確には、洗濯機を回している。「洗濯機を回す」の語源は、その昔の洗濯機は本当に人間が手動で回していたからだそうだ。

「手仕事である事は変わらないけど、ちょっとだけ洗濯がしやすくなる道具」から、「全自動で洗いから濯ぎまでこなして、最新のものは乾燥もしてくれる箱」になったのは、近年である。

俺の住んでたところがドのつく田舎であったこともあると思うけど、洗濯機はほぼ自動になってからも、二層式洗濯機って言う、洗い濯ぎと脱水を別々の籠で行なう洗濯機と言うのがあったんだ。

小面倒くさい事に、洗いと濯ぎが終わったら、脱水層と言うほうの籠に、人間が手動で洗濯物を入れ替えなければならない。

20年以上前くらいに一層型全自動洗濯機が開発されて、それから洗濯機のドラムを斜めにしたり、乾燥機能をつけたりする洗濯機も現れてきた。

初期の頃のは「乾燥機」と言うものが別にあって、服をすぐに乾かしたかったら「乾燥機」で乾燥させていたのだが、この乾燥機に入れると服が縮むと言う苦情も多かったようだ。

俺は乾燥機を使ったことが無いので何とも言えぬが、たぶん、セーターとか、ふわっとした素材とか、網目が荒い素材とか、そう言うのは縮むと思う。

そうなると、乾燥機に入れる前にやはり手動で洗濯物を分別すると言う事をしなければならない。

手動の手間を省き、衣服を縮めることなく乾燥させるための方法なのか、風乾燥と言う機能が現れた。

洗濯機がこんなに生活に必須で有能になっているのは、洗濯物と言うのが辛いのと、やはり「他人の衣服を直に手で洗うのは気持ち悪い」と言う、人間の生理的な心が働いていると思う。

「大昔の人はこんなに苦労をしたんだ」「だから君達も与えられた環境に文句を言わないで」「さぁ、苦労をしよう」って言う、道徳の時間のくどい話は鬱陶しかったな。

道徳の時間の教師に関しては、お前だって手で洗濯物を洗ってた時代の人間じゃないだろう? って思うんですよ。

他人に勧める「苦労」は蜜の味なんですかね。