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時々徒然

そろそろ動画を作ろう

昨日から、そろそろ今月の動画を作ろうと思い始めた。今回はあらかじめ候補曲があるので、スタートダッシュはゆっくりである。しかし、難題が待ち構えている。

曲のイメージイラストを描かなければならない。今回の曲は鏡音レン歌唱なので、出来たらレンの絵が良いなと思うんだが、俺は今まで「生き生きしているレン」が描けたためしがない。

男の子を描かねばならぬと言う変な意識があるからか、それともあの特徴的な髪型を描くのが難しいのか、何故か思うように描けないのです。

愚痴っていても事態が進行するわけではないので、出来る限りのことはしよう。今日は面白い本を読んで、その情報が頭の中に残っているので、非常に頭が重たいです。

アドラー心理学って言うのを分かりやすく書いた自己啓発の本なんですよ。

ざっくりした内容としては、アドラー心理学には、目的論とか、劣等コンプレックスとか、優越コンプレックスとか、不幸自慢とか、復讐って言う定義(仮に定義と呼びます)があって、

自分の人生にそう言う定義的なものが影響して来たり、他人の人生の中の定義に介入してしまうと、自分の人生が生きれへんでって言う話だった。

自分の人生を生きるにしても、ワーカーホリックとかを、「何かを実行しない事の理由にしないほうがええよ」って事も書いてあったな。

今一瞬を強く生きねばならぬって言うのは仏陀の言葉だけど、アドラー心理学にも似た考え方があるんだって。

ダンスを踊るように、ある物事を一極集中して続けて行く、そうすると「いつの間にか此処まで辿り着いていた」って言う現象が起こると。

目的論で言うと、Aの理由があるからBが出来ないって言うのは、「AさえなければBが出来るのに」って言う可能性の中に生きるための言い訳なんだと。

能力があれば絵が上手く描けるのに。だったら練習をしよう。って話です。タブレットがあれば絵が上手く描けるのに! って思うなら、金を貯めてタブレットを買えって話ですね。

なんで、「ああしたいこうしたい。だけど○○の理由があって出来ない」って言う人達が、その「○○」を解決したり、回避したり、無視したりと言う方法でクリアして、

やりたいことをバリバリこなさないのかって言うのをずっと不思議に思ってたんですけど、「やればできるはずなんだ」って言う夢の中に居たいための言葉であって、

本当に「ああしたいこうしたい」を叶えたいわけじゃないんだって発見しましたね。

さっき挙げた、劣等コンプレックス、優越コンプレックス、不幸自慢、復讐と言う定義の行動も、全部「自分は特別な存在だ」って思いたいから、選択してそれを行なっているって言う。

今、頭を整頓するため…と思いながら文章を打っている、この行動も何かしらの言い訳かも知れない。歌活をしないとか、絵を描くのを後回しにしたいとか。

左側の歯の炎症は、だいぶ落ち着いてきたんですよ。「治ったかな?」って思って左側の歯でパンを噛んだりすると、すげぇ痛いけど。

それから、右側の歯で物を噛むようになってから、「隠れ歯ぎしり」が分かってきました。無意識に、上の歯と下の歯を擦り合わせている時がある。

なるべく歯を噛みしめないように、意図的に口呼吸とかをしてるんですけど、歯を噛みしめなくなってから劇的に肩凝りが治りました。

頭も整頓されて来たので、何かしらの作業をしよう。