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時々徒然

散文

自分が老けることに対して従順である意味が解らない。「年相応」って、社会常識とかそう言う観点では必要だけど、「〇十歳になったらこうでなきゃならない」と言うものでもないと思う。

繰り返すが、「社会常識」と言うものに対しては、歳を重ねるごとに重点を置かなければならない。人間として見本に成れない常識のない老人ってどうよ?

でも、「もう〇十代だから、髪型も服装も相応に老けて…」とは考えない。その考えは、最終的には「そろそろ〇十代だから死ななきゃ」に行きつく。

とある本で読んだのだが、運命の出会いを信じ、今は歌手だけど、これから女優になりたいと言う目標を抱いている、70代女性と言う人が居る。

こう言う、何かを成し遂げてはいるけど、まだその先を描いている人ってすごく好きだ。いくつになっても、年齢を理由に諦めない。

能力を得るのに時間がかかると言う意味では、確かに年齢は枷にはなるが、それまで培ってきた学習能力や、いくつになっても「先人」の言葉を傾聴できる姿勢とかあれば、乗り越えられる。

それを、唯テレビ見て煎餅食う時間にあてるから、いつの間にか寿命が来るのだ。と、俺は思うほうなのね。

俺も、休憩を取らない人じゃない。YouTube観て爆笑してる時もあるし、アーティストの曲聞いて浸ったりもする。だが、頭の何処かには、いつも自分の創作物の「種」にできる情報を吸収している。

俺は基本、自分の面倒しか見ない人である。他人の面倒が見れないわけじゃない。あえて、見ない。家庭を築く、子供を育てる、とても大切だし豊かな事だと思う。だが、俺はそう言うことに向いていない。

それが分かっているので、俺は人生の中で、自分がなすことに、創作を続けることを選択した。

もちろん、人生の大部分を費やすと決めた時点で、「出来ない」事にずっとチャレンジしてきた。

最初は普通に「詩」しか書けなかったが、その「詩」を、毎日、4年間、長文から短文まで、ちっさいメモノートにびっしり書いてきた。

次は「音楽」だ。はっきり言って、俺は音楽の知識はほとんど持っていない。「基礎」がうっすらとあるくらいだ。今でも、作曲はスコアに音符を打ち込むだけで、細かい調節はPCに頼っている。

でも、その作曲を8年くらい続けている。今使ってるソフトの5つくらい前のバージョンから、スコア作曲と言うものは知っていたが、ブランクがあるので、実質作曲歴8年くらい。

ボカロを使おうと思ったのは、ほんの近年。ボーカロイド3が発売される頃から使い始めた。

培ってきた、「言葉」と「音色」をリンクさせられるようになり、「イメージする曲」が短時間で作れるようになったのもこの2~3年だ。

俺の作った曲を気に入ってくれる人もいる。それは真っ正直にありがたい。だが、もっと「こんな感じ」を作れるようになるまで、探求は続けるつもりだ。俺が死なない限り。

自分が「出来ない」事に関して、年齢を理由にはしない。老いると、若い時より学習に時間がかかるが、それは「学習にかけられる時間」が少なくなるだけなのだ。

そして日本人に多い誤解だが、若くないと「純粋」ではないと言う考え。これは単に若者を見下しているのと同じである。「ピュア」=「馬鹿」と同じ。

「何も知らなくて純粋な」と言う意味だ。しかし、考えてみてももらいたい。お前がテレビ見て煎餅食ってる間に、若者達は日々学んでいるのだぞ。遊んでいる奴もいるが。

髪の毛真っ白になっても、ステージに立ち、歌い続けている人達は居る。俺には「それだけは」とてもできないかも知れない。何故なら、世の中に嫌いな奴が多いから。

世の中に伝えたいメッセージがあったとしても、「お前に言ってるわけじゃない」って言う奴の存在を忘れされるくらい、俺が強くならなきゃならない。

自分の声を使った創作をするようになってから、その糸口は見えてきた気がする。俺にはたぶん、音と言葉だけになれる感覚が必要なのだ。

雑念を捨て、唯、自分の言葉を唱える。経を読む僧侶のように。かつて、ブッダが最初に教えを唱えたのは、野生の鹿の群れだったと言う。そのくらいから始めよう。

そんな今日はバレンタインデー。この散文は、俺からの誰に向けたわけでもない、愛(アガペー)だ。受け取ってくれる人が居たら幸い。