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時々徒然

猫で良いじゃないか

さっき、「愛」と言う言葉を使ったので、俺の持っている「愛情」的な感覚について語ってみよう。

感覚としては、個人に「愛着」は持つかもしれないけど、「愛情」は持たない。精神的にはジェンダーレスなんだと思う。そう言えば見た目もジェンダーレスだった。男か女か分からんと言う意味で。

音楽作ってるのに、愛を知らんのか? 愛を語らんのか? とか、小面倒くさい疑問を持つ人もいるだろう。

愛なんて無くても創作は出来る。歴史上、世のどれだけの芸術家達が、悲哀と苦悩の末に「作品」を生み出していることか。

現代の日本社会では「コンスタント」さが求められるのと、売れないと意味ないと言う「商業性」があるので、みんながファーストフード感覚で受け取れる手軽な愛が唱えられたりもする。

もちろん、真面目に考え抜いて「愛」を唱えている人もいるだろう。残念なことに、そう言う職人気質な作品も、大体の日本人はファーストフードだと思っている。

真面目に「人間愛」とか唱えても、「誰か好きな人が居るんだろう」とか思われるだけで終わってしまうことも多い。

事実、俺の過去の友人には、ミュージシャンなんて恋しないと曲が書けないと普通に思ってる奴が居た。それだけ、量産型の「愛」は毎日大量生産され、消費され、消えていくのだ。

俺はそんなに「愛」と言うフレーズに思い入れはないので、あまり使わない。「恋(こい)」と言うフレーズも使わない。「恋」の文字を使うときは、「レン」と読む。

「恋歌(レンカ)」が、唯一使う言葉かな。

俺が底辺クリエイターである理由もその辺にあるのかも知れない。作詞上で、「スキ」とか言わないので。ボーカロイドに愛を歌わせないプロデューサーである。

文章上で量産型の「愛バーガー」や「恋ポテト」や「好きシェイク」を唱えたくない人が居たら、是非歌い手になってもらいたいくらいだ。

もちろん、精神論だけではなく、声質とか結構気にする方なので、こんなこと書いてもたぶん誰も絡んでくれないだろうとは見越している。

そして、俺の作る曲は、歌うのがめんどくさい。それも分かっている。自分で歌おうとして、めちゃくちゃ面倒くさいことを自覚している。もっと「歌いやすさ」って大事かな。

曲調の操作は多少できるが、歌い出し前の変化とかにあんまり力を入れないほうなので、曲覚えて、歌詞カードだけで歌おうとすると非常に辛い。

カラオケの字幕ってすごい発明だったんだなーとか思うレベルである。その点は、これからもっと精進しよう。

話がそれたので戻す。何故俺が「手堅い商法」であると分かって居ながら、「愛バーガー」を作らないかと言うと、俺が「好き」とか「嫌い」とか言うと、変な目で見られるからだ。

見た目のこともあるかも知れないが、どうやら俺はそれこそ「アガペー(博愛)」を持ってる人だと思われやすい傾向アリ。

そして、此処近年、会ってきた過去の友人達が…アーティスティックな感覚を持って居ない人が多く、ラルクとか歌っただけで「好きな人できたの?」と聞いてくる変人が多かったのだ。

「そう言う歌詞だからそう歌ってるだけだよ」と言う感覚を理解しないのである。「歌」を、「作品」としてとらえてないのだ。話にならない。

そんな雑多な一般市場の知識があるので、俺の「愛バーガー」に対する偏見はかなり強い。ファーストフードを作るのすら面倒くさくなるくらい、人間不信なわけだ。

そもそも、webと言う媒体を経て、「LuNaRhyThm」としての俺を知ってくれている人、俺の作品を愛好してくれる人は居ても、リアルな俺と関わりたい人はあんまり居ないと思う。

だって、こんな面倒くさい奴、俺も嫌だもん。それこそ、俺が本物の「アガペー」を注ぐのは、猫くらいである。