理解した…

俺は、通常の状態では、初音ミクの声を美しいと思えない。と言うことが発覚した。
かなり良いレベルの作家さんが作った、「ポップス」のミク曲を聞いたのだが、何も響いてこない…。
あれー? と思って、ボカリーモ(スクリーモのボカロ版)を聞いてみた。しっくりきた。
たぶん、俺は、「POPS」の世界に居て良い人間ではないのだろう。
「明るい」「ポップ」「日常的」という世界のボカロ曲を聴いても、つまらんのだ。
別に、「明るくてポップで日常的」な曲を好きな人は好きで良いだろうし、そう言うのが作りたい人はどうぞお好きに。だが、俺は馴染めない。それだけの話なのだが。
俺の根底にある音楽が「ロック」だったりするのもあるのかも知れない。でも、普段はロックばっかり聞いているわけではない。ケルトとかも聞く。
よく、ロックで耳にする、「ずぎゅぉぉぉぉぉぉ」と言うギターの音はどうやったら出せるのかとか考えているが、知識がないので思考は発展しない。
当HPをよく見てみて思うのが、俺の作詞って、優し気な感じがするんだね。たぶん、「ありったけの優しさ」を発掘しながら作詩をしていたからだと思う。
ここ数ヶ月の傾向だと、段々「あおる」ようになってきてる? っぽい。段々ロック少年みたいになってきてる。キッズである。
歌詞や音楽の操り方を覚えてきて、ちょっと調子乗ってきたっぽいロック少年的な「煽り感」を出し始めている。
昼間の仕事中に、先輩に良く愚痴っているのだが、俺は作家としては「自己完結型」なんだと言うことが分かった。絵意外な。
俺より絵の上手い人、音の作り方の上手い人、が居るのは分かっている。自分に出来ないことが出来る人は、素直にジャンル「すげー人」にカテゴる。
制作の中で、一番俺が譲れないのが、言葉なんだよね。一般の人間が歌ってる曲なら、「こう言う表現もありか」的な許容力は生まれるんだけど、
ボーカロイドに歌わせるのに、なんでこう言う言葉のセレクトなんだろう? って思う時はある。
なんかね、ボカロには、「何処か突き抜けててほしい」と思ってんだろうね、俺は。それが、スクリーモ表現であったり、伴奏にギターノイズ入ってたりすることだと思うんだ。
人間がやったら当たり前でも、「これ、機械なんだぜ?」って言う、ボカロが発明された時、みんなが持ったワクワク感を、今でも維持してほしいのよ。
言葉に関して妥協できないのは、俺の作詞人生が長ったらしいと言うこともあると思うんだが、自分の言葉を徹底的に否定されて、それでも言葉に縋りついてみた、くらいの気概が欲しいのである。
その辺を掘り下げると、俺の出生の事とかになってしまうので伏せるが。俺もね、優しい言葉も、安直な夢いっぱい、ポップファンタジー、な、歌詞も書くよ。
だけど、それは表現の一端であって、俺がそんなに「やさすぃー人」なわけではない。
俺の書く小説を読んでくれると分かると思うんだけど、優しかったら、こんなに何度も世界を危機にさらさない。主人公達を苦しい立場に追いやったりしない。
つまり、俺が優しい人だったら、何も創れない。創造を人生のパートナーにしようとは思わなかっただろう。
二十歳越えたら唯の人、と言う言葉があるが、そう言う「世俗」「慣習」「惰性」に流されるか、流されることを許せないかの違いだと思うんだよね。
さっきも書いたけど、流される人生も、そりゃその人の選択した人生であって、俺には関係ないし、俺は俺で勝手に作家人生を満喫するからって言うスタンス。
人生の上で、売れない作家であっても良いよ。「明るい」「ポップ」「日常的」が受け入れられない作家なんだから、そりゃ一般受けはしないだろ。
でも、一般受けを狙って、潰れて行った人たちもたくさん見てるから、結局「自分がその作品に対して納得できるかどうか」なんだと思う。〆切はあるけどね。
プレゼントを贈る気持ちで創作をする、と言う思考の切り替えも大事だって聞いたけど、今まで散々、プレゼントは作って発進してきたんだ。
それが「むず痒く」成って来たから、最近のキッズ化が起こってるんだと思う。
これから俺の作るものがダークネスになっても、俺が変わったわけじゃない。作る物の側面が変わっただけだ。
だが、良い絵はどんどん借りる。