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時々徒然

心を崇める

なんか最近、絵に英詩を当てはめるのが、自分の中で流行っている。日本語だとどうしてもギャグか皮肉に走ってしまう。

僕の母国語は日本語である。しかし、流暢に日本語が扱えるので、その中に「皮肉」を織り交ぜても、小粋なジョークとして受け取れる程度の「皮肉」にできる。

英語は、今の所、直訳と、やや婉曲表現が分かるくらいで、まだ英語で冗談を言ったりできない。

歌詞の中に使われる表現とかは知ってるけど、日常会話に出てくる表現を知らんとか、知識に偏りがある。

同じ言葉でも、日本語で使われるニュアンスが英語には無いとかを、辞書を引いて理解したりしているレベルである。

例えば、「蠢く(うごめく)」。象形文字が分かる人は、春の虫と書くところでお察しの通り、虫が動いている様からきた言葉。

しかし、この言葉は、虫限定ではなく、「雲が蠢く」とか、「街が蠢く」とか、「時代の蠢き」とか、割とポエティックな使い方もする。細かいものがごにゃごにゃ動いていると言う感じ。

僕が調べた範囲内なので確定は出来ないが、英語の辞書を読んでみると、割と虫の意味が強いみたいで、虫の例文しか出てこない。

最初は、「雲が蠢く」って言う表現を英語にしたらどうなるんだ? って思って調べたんだが、直訳は出来なさそうなので、英詩のほうは別の言葉をセレクトした。

たぶん、僕の英詩を読むと、英語圏の人は「この人は何を言ってるの?」ってなると思うんだ。「Maple Voice(楓の声)」とか「Coral know(珊瑚は知ってる)」とか、普通に使うから。

日本だと、こう言う色んな生物が「意思」を持って、生命として何かを発しているって言うのは馴染みのある詩的表現なんだよ。

日本には八百万の神がいると言うのは、そう言う、色んな生命は夫々に「心」や「意思」を持っている、それらは全て等しく「神」として存在する、って言う考えが起源かな。

そこから派生して、植物から作った「物体」「道具」「食物」にも「心」が宿っている、植物を生み出した土や大地にも「心」が宿っている、と日本人は考えるわけ。

もちろん、大地を潤す雨、雨を生む雲、雲を運んでくる風、そう言った「万物」には「人間の計り知れない何等かの心」があると考える。

それは、時に試練を与え、時に豊穣を与えてくれる。人間の意のままにはならない、でも、決して恐ろしいだけの存在ではないそれらは全て「神」であり、「心あるもの」である。そう考える。

今は面白おかしく日本神話が取り上げられたり、「神社はパワースポット」なんて言って流行の一端になってしまっているけど、本来はそう言う「自然と言う心」を崇める考え方だったんじゃないかな。

だから、僕は楓だって話が通じれば言葉をしゃべると思ってるし、珊瑚だって何か考えてると思ってる。唯、彼等は人間とは種族が違って、実際に音として声を発さないだけだと思っている。

命はみんな心を持っている。心のある者達は、きっと何かを思っている。僕は一人の大和人として、そう考える。

君の心は今なんて言ってる?