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時々徒然

ミスターガービッジの子供

言葉の意味は分からない。それでも何故かセサミストリートを「観させられていた」世代。一番お気に入りのキャラクターが、エルモでもクッキーモンスターでもなく、ミスターガービッジ。

和訳、ゴミ氏。ゴミ箱に住んでて、なんか楽しいそうな奴だと思ってた。ビックバードほど不気味でもなく、クッキーモンスターほどアホでもないし、エルモほど大人しくない。

そんな事より、最近俺の勤め先の部署の仕事の効率が上がっている。それはとても喜ばしい事なのだが、外からどんどん仕事が来ると言う状態ではないので、時々暇になる。

暇になったからと言って自由行動は認められない。就業時間と言うものの間は、「勤め先の人間として身になる事」をせねばならない。

掃除が行き届いていない時は部署の大掃除をしたり、上の人に時間がある時はミーティングをしたりする。

しかし、作業効率が上がったことによる空き時間なので、其処に追加勤務が発生することはない。その代わり、「大人しく本を読んでいる時間」が発生する。

読む本も、「頭が良くなる本」だ。緩い規則としては、「文字の書いてある本」と言う事になっている。文章を読めと。漫画はだめと言う規則。

その代わり、文字が書いてあるなら恋愛小説でも良いし、写真多めでも良いし、自己啓発本でもラノベでも人類史でも自伝でも良い。

勤め先に人類史の本持って行ってゆっくり読書をしようとする変人と言うのが、存在するのだ。俺と言う人物として。

何もしなくて良い、大人しく本を読んでいればって言う時間は、家で作家業をする生活だと、中々得られない貴重な時間なのである。

思うに、今まで俺の頭の中は、「イマジネーションの氾濫」が起きていて、それを整頓するために文章を書いていることが多かった。小説なり、駄文なり、作詞なり、作詩なり。

今書いている、駄文…綺麗な言葉で言えば随筆とでも呼ぼうか。も、頭の整頓と言えばそうだ。右脳で発想したことを、左脳で言語に置き換えて、「俺は何を考えてんだ?」と、自答自問していると。

本当に頭の良い人とか、普段から左脳主体の人とかは、一々文章に書かなくても「素晴らしい考えをすらすらと唱えられる」のだと思う。

今書いたことは逆説も言える。「素晴らしい考えをすらすらと唱えられれば」、頭の良い人だと思ってもらえると言う事だ。

俺も、不真面目なことに、仕事中よく喋るのだが、基本的に人を笑かす事しか考えてないので、「重々しい口調で何をしゃべりだしたかと思えば、そんな事かよ」って言う笑いをとりに行ってしまう。

たぶん俺のことが嫌いな人とか、俺を「なんかこいつ嫌だなー」って思ってる人とかにも、ポジション的に声をかけなければならなかったり、問いに返事を返したりしなければならないので、

嫌われてるとか、あんまり考えない。お前のイラっとしてる気分? そんなの関係ねーよ。くらいの勢いで笑いを取りに行く。

笑いと言っても、お茶の間の大爆笑ではなく、喋ってる俺が気分良くなって「よっしゃオチがついた」って、自己確認できればそれで良い笑いなのだ。とても利己的な笑いである。

ただし、俺を「いじってマウントを取っても怒らない奴だ」と勘違いして寄ってくる奴に対する対応は塩である。シカトする、スルーする、威圧する、業務に関係する事しか言わない、とか。

俺が黙って仕事をしていると、みんな「なんで今日喋らないの?」的な反応をくれる。怒ってると勘違いされることもある。駄弁りを期待されているらしい。

本題に戻ると、また勤務時間内に「読書」の時間が現れそうなので、俺も傾向と対策として、家にある「ラノベより小難しい本」を取り出して、持って行く準備をしてある。

頭が良くなる本と言えば…図鑑だ! と言う事で、図鑑を2冊買ってきた。今までは、「イマジネーションの氾濫」で埋まっていた頭を、本当に「知識的」な頭にするために。

イマジネーションの氾濫でも何かは作れるのだが、文字を操る上では多少の知識は欲しいんだ。リアリティのために。だけど余計な概念で想像力を抑圧したくもないとも思っている。

真ん中あたりを縫うように進もう。