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時々徒然

正直に生きるって

自分が考えていることを、正直に話すとか、正直に記述するとかすると、すごくストレスかかるんですね。

理論武装とか何もない状態で、本当に思ったことを素直に描いた後、その文章を読み返すと、右目の瞼が痙攣するくらいストレスなんですよ。

歌詞とかは、「世界」があって、その世界からのメッセージだったり、その世界の出来事だったりするのと、基本的にボカロが歌うための歌詞なので、あれは「作品」なんですよ。

でも、作った作品を説明するときに、思わず「本心」を書いてしまったりすると、後で読み返して瞼がぴくぴく言います。

お前は何を気取っているんだ、って言う風に読めるんですよ。自分が全く気にも留めずに書いた言葉が。

基本的に僕は歌詞あっての人だから、ちょっと普段からポエミーなのかもしれないけど、冷静に読むと分けわからんこと書いてる時がある。

後ですね、音声トークのコーナー「朔月夜」の、フリートークの回で、しゃべりの練習をしようってなったんですよ。

さっき作業の合間にフリートークの回をしゃべったんですけど、一人語りなせいか、何をしゃべろうとしているのか、どのような論法で結論に至ろうとしているのか、全然分かんないんですね。

しかも、喋りの合間とか、余計な言葉とかを短縮しても、5分間ずっとしゃべりつづけなければならないので、いつも喋っているような短時間でオチがつく話って言うのが出来ない。

よく考えたら、短時間(2分とか)でオチがつく話を、2~3回喋れば5分になるじゃんって、今気づきました。次回からその話法を活かします。

真面目な話をしようとしたりするから悪いのかも。フリートークなんだから、下らない事でも良いんだ。

決してかっこつけようとか、頭の好い人だと思われたいとか、そう言う願望で音声トークを録音してるわけじゃないんですよ。

音声トークを始めたのは、なんか最近暇だなー(大体の月〆切守れるようになったなーの意味)って思って、その時、普通にラジオを聞いていて、「これ楽しそう」って思ったのが始まり。

それまで、歌練以外で声の録音ってしてなかったんですけど、ミキシングの練習を兼ねて、声を録音するって言う機会を増やしたわけです。

そんなふわふわした理由だったので、初めの頃は面白がってて、段々疲れてきて、更新が隔週に成ったり、ほとんど更新しなくなったりしたんですけど、録り溜めって言う方法を学んでから、

かなり時間に余裕をもって音声トークを更新できるようになりました。だからと言って作業を増やそうとすると瞼の痙攣が起こる。

許容値とか考えたほうが良いかもしれない。何でもできても良いけど、なんでも中途半端になったらあかんしね。